公害問題

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【公害問題】
 急激な工業の発展に支えられた高度成長は経済的豊かさと引き換えに、社会に様々な歪(ひずみ)を生み出した。その一つが公害問題であった。高度成長期には水俣病、四日市ぜんそく、田子ノ浦のヘドロ、光化学スモッグなど様々な公害が起こり、深刻な社会問題となった。工業都市・浜松も例外ではなく、産業の発展とともに工場の汚水、騒音、煙害など様々な公害を引き起こした。浜松の公害問題は臨海型工業によるものではなく内陸型工業による公害という特徴を持っていた。具体的には鉄工所、織布工場などの騒音問題、木工、塗装工場などの煙害、粉じん害、合金工場、セロハン工場、繊維工場などのガス、臭気問題、工場汚水問題などである。
 新聞記事などから問題になったいくつかの事例を挙げてみよう。
 
(1)メッキ工場からの廃液の流出 
 昭和三十五年十月二十四日、浜名郡浜北町小松地内の馬込川上流から浜松市有玉北町までの約二キロにわたって川魚が大量に死んだ事件。浜松北保健所の調べによると、メッキ工場が硫酸、青化銅、青化ソーダ、化成ソーダの混合液を廃液として流したことが分かった。
(2)浜名湖への重油流出
 昭和三十九年十二月七日、浜名郡新居町の浜名湖畔にある工場から大量の重油が浜名湖へ流出し、ノリ網に付着して約一千枚分が全滅した。重油が付着したノリ網はべっとりと黒ずみ手の付けられない状態で、一部地域ではノリ網が全滅した。
 
【塩水化】
(3)地下水の塩水化
 浜松地域は天竜川水系や三方原台地からの水系によって地下水は比較的豊富であった。しかし、産業の急激な拡大や人口増加に伴い水位の低下と塩水化が問題になった。地下水の塩水化現象は、西部・南部地域から、東部地域と拡大傾向にあった。昭和四十七年現在、市内で使われる地下水は一日七十三万トンで、そのうちの五割が工業用水として利用されている。
 
【馬込川の汚濁】
(4)馬込川の水質汚濁
 浜松地方には多くの染色工場が存在し、そこから工場排水が流され馬込川を中心に着色汚染や水質汚濁が起きた。市の中央を流れる馬込川は、その沿岸の各種工場の排水や都市下水などによって汚染され、水質の汚濁が社会問題になった。昭和四十三年に静岡県浜松繊維工業試験場が行った汚染状況調査によると、馬込川の汚濁は茄子橋より下流において見られ、特に富士見橋~大浜橋間では最高の汚濁状況を示していた。この傾向は中田橋付近まで続き、さらに、都市下水や機械油などによって汚濁された新川の水が加わって河口に流れていた。馬込川の大浜橋付近ではCOD(化学的酸素要求量)値が十~七十PPMに達し、DO(溶存酸素)値は四・五~六PPMに減少した。また、新川の元浜橋付近ではCOD値三十五・八~八十九・〇PPM、DO値は一・二~八・〇PPMと馬込川水域では最も汚染の著しい場所となっていた(『新編史料編六』 五産業 史料53参照)。馬込川水域の汚濁は各業種の工場排水と都市下水によってもたらされているため、下水道の整備と工場排水の排出規制が必要になった。
 
 このような環境の悪化に対して、浜松市は本腰を入れて公害防止対策に取り組むことになった。染色工場からの廃水については水質汚濁防止法によって規制し、各工場は廃水処理施設の建設によって対処することにした。さらに、産業廃棄物処理場を建設し各工場から排出される木片、糸くず、段ボール、塗装カス、廃油、空き缶などを処理することにした。また、住宅と工場が混在している現状を解決するために工場の団地化を進めていくことにした。