【浜名漁業協同組合】
この時期の漁業は、浜名湖における湖面漁業・採貝漁業・浅海養殖漁業と湖岸沿いの養鰻事業が中心であった。浜名湖は外洋と通じているため多種多様な魚介類が生息していたが、周辺地域の開発により漁獲量は減少傾向にあった。それに代わって人工養殖が主流になっていった。湖内漁獲物の主なものは、ウナギ、カキ、ノリ、エビ、ボラ、カレイ、カニ、ハゼ、アサリ等で、従来小規模漁船による零細漁業が中心であるため専業漁家はわずかであった。こうした中で、昭和三十九年十二月から新水産業協同組合法が適用されることになった。この組合法は漁協の基準単位を大きく引き上げ、年間水揚高一億円以上、組合員三百人以上、五千万円以上の信用事業(貯金高)、一千万円以上の購買事業といった内容であった。これらの条件が一つでも欠けた場合は漁協としては認められず解散せざるを得なくなった。この適用を受けると舞阪、新居漁協以外は解散に追い込まれることになった。そこで県水産課は一挙に十七漁協を合併させ、組合員二千人、年間水揚高三億円余のマンモス漁協をつくるよう指導した。これにより地元では合併促進委員会を結成し一本化へ動き出した。当初、組合内部の財産の処分や区画漁業権の大小の調整などの問題で難航したものの、昭和四十年に十七の漁業協同組合が大同合併し浜名漁業協同組合として発足した。これにより沿岸漁業構造改善事業や漁港の整備が進められ、さらに養殖事業の振興にも乗り出し、昭和四十一年にはカキとノリの水揚高が約一億五千万円に達した。また、浜名漁協村櫛支所は、構造改善の一つとして昭和四十年からハマチの養殖を手掛け湖面に七面の生(い)け簀(す)を作り、「採る漁業から作る漁業」への転換を図っていった。