ウナギ養殖

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【浜名湖養魚漁業協同組合 スッポン養殖】
 全国的に有名な養鰻事業は、明治中頃に始まって以来、着実に発展し、昭和四十年頃には一市七カ町・組合員四百余名を擁する浜名湖養魚漁業協同組合を中心に営まれていた。約七百五十ヘクタールの養鰻池で、年間約四千トンのウナギを水揚げし、生産額も二十四億円に上っていた。昭和四十年代前半には水田の養鰻池転換が起きてきた。地域的には篠原・村櫛・庄内地区など浜名湖沿岸に集中したが、これまで養鰻と縁のなかった天竜川西岸沿いの河輪・五島地区でも養鰻池が造成され、一種の造池ブームが起きた。こうした造池ブームの背景には、第一に食生活の向上とともにウナギの需要が伸び養鰻業が成長産業になったこと、第二に、稲作による収入より高い水田貸付料を得られるといったことがあった。水田を養鰻池として貸す農家にとって労働力不足や減反政策による稲作への不安があったため、水田を貸し付け、貸付料として十アール当たり年間四万から四万五千円の現金収入を得たほうが良いと判断したためである。このような動きはシラスウナギや養鰻用水の不足を生み、さらに生産過剰による値崩れの恐れがあったため、浜名湖養魚漁業協同組合にとって必ずしも歓迎する事態ではなかった。また、スッポン養殖も盛んになり、養殖面積二十五ヘクタール、年産二十トンを水揚げし、生産高は全国の九十九%を占めるまでに成長してきた。