市は、新幹線の浜松停車と新幹線の浜松通過コースが市の将来を基本的に左右するという認識に立って、その行方に重大な関心を払った。そして昭和三十四年九月、市独自の通過コース案を提出することを決定した。このコース案は、現駅舎に入る案と現駅舎と極めて接近した市街地を通る案の二案(いずれも北線案)であり、市は国鉄に両案を提出するとともに、その実現に向けて運動を展開した。
こうした中、国鉄当局から浜松駅設置が内定したことが伝えられ、十月十日には国鉄当局の浜松通過コース地域の土地立入調査が開始された。
【国鉄の通過コース案】
この調査の過程で、国鉄側が駅南地区を通過コースとして予定していることが判明した。このため市側は、十一月四日に市、市議会、商工会議所に加えて、農業団体、土地区画整理審議会、関連する十一の市町村を含めた新期成同盟会を発足させて運動を強化した。同時に、北線案の実現と駅および市街地の一部の高架化を国鉄側に強く要求することを決定した。
【浜松駅設置の決定】
一方、十一月十四日には浜松駅を含む十一の新幹線駅(東京、横浜、小田原、熱海、静岡、浜松、豊橋、名古屋、米原、京都、新大阪)の設置が正式決定をみた。しかし、浜松通過コースについて国鉄側から正式な提案はなされなかった。