[新幹線工事の開始とその進展]

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【用地買収】
 昭和三十六年九月十八日、新幹線浜松通過コースの測量が開始された。また十一月から国鉄による移転補償および用地買収の交渉と補償金・買収費の概算払いが始まった。市では間もなく始まる補償交渉に対処するため、二十六の関係自治会に対策委員会を設けた。対策委員会はコースに入る各自治会の自治会役員と補償対象者によって設立され、市および市議会関係者が相談役となった。
 正式な補償交渉は、翌三十七年二月に、まず農村部の用地買収価格折衝から始まり、約半月で妥結した。それを受けて三月には市街地の用地買収および家屋移転補償折衝が開始された。最後まで残った五戸の買収も無事終わり、昭和三十八年八月五日までに調印を済ませ、間もなく家屋の移転を開始した。
 
【工事の着工】
 この間の昭和三十七年六月八日には、新幹線浜松コースの東起点の東鶴見地内の天竜川右岸現場で起工式が行われた。六月二十日には西起点の篠原地区で着工し、東西両端で土えん堤の工事が始まった。また、七月十一日には相生町から森田町までの三・六キロメートルの高架橋部分が着工した。
 工事は順調に進み、『静岡新聞』(昭和三十九年二月十一日付)は、市新幹線課の調べとして高架区間は九十九%、土盛部分も九十八%まで進行し、森田高架橋も一級国道をまたいで架け終わったと報じた。また、同紙六月一日付によれば、五月三十一日には大阪─静岡間のレールが、成子町地区の高架線上でつながり、同地で締結式が行われた。
 
【天竜川橋梁】
 一方、新幹線の天竜川橋梁(浜松市鶴見町─磐田郡竜洋町中島、延長九百一・四メートル)は、大増水にも見舞われず工事は順調にはかどり、下部構造が昭和三十六年十二月一日、上部構造(桁部分)については三十八年一月八日に着工、それぞれ三十八年三月二十五日、三十八年十一月二十日に竣工した。新幹線の鉄橋では富士川、木曽川、大井川に次いで四番目の長さとなった。
 浜名橋梁の三橋梁(東から第一、第二、第三、それぞれ百七十六・六六メートル、百九十六・四三メートル、五百四・六〇メートル)も東海道本線の北側に沿って三十六年十二月一日に工事が開始され、三十八年十二月に完工した。