国鉄新幹線浜松駅設置期成同盟会は所期の目的を達成したため、昭和三十七年三月七日の総会をもって解散した。関係者らは、同日改めて、新幹線通過に伴う①現線の高架化、②客貨分離、③市街地整備の実現を期して、東海道線高架化促進期成同盟会を設立して運動を進めることになった。
昭和三十八年十月には、市議会にも国鉄現線高架化促進特別委員会が設置され、運動が強化された。
昭和三十九年八月、国鉄中部支社長から浜松駅高架化計画の概要が明らかにされ、同四十年十二月には国鉄の第三次長期計画(昭和四十年~四十六年)に組み入れられることになった。これを受けて市は、昭和四十一年十月に浜松市東海道本線高架化事業推進本部を設置し、助役を本部長とする事務局を設置した。
しかし高架化は、浜松駅の客貨分離、浜松駅の同新幹線駅北側への移転、相生─森田間の高架化と三段構えになっており、百億円超といわれる巨額な費用を要する大事業となるはずであり、その成否は必ずしも楽観を許す状況ではなかった。
このため、高架化の早期実現を目指して、昭和四十一年十一月には期成同盟会の拡大大会が開かれ、新たに市民各層の代表をも含め約五百八十人を実行委員・委員として選出した。
同大会では高架化促進のための全市民の署名運動を展開しようという動議が採択された。昭和四十二年一月までの三カ月間に十八万余人に及ぶ署名が集められ、同年二月に期成同盟会、市議会代表、地元選出国会議員の手で国鉄本社に提出された。
図2-35 期成同盟会拡大大会