【新貨物駅】
こうした市を挙げた運動の結果、昭和四十二年四月から高架化事業の第一段階としての貨物駅移転の予定地への立入調査が開始され、五月に測量、ボーリング地質調査が、六月から本格的な測量が開始された。また、翌年二月十五日には貨物駅建設工事のくい打ち式が行われた。
三十三万平方メートルに及ぶ新貨物駅の用地は、国鉄が戦中の弾丸列車計画に際して同市森田町から可美村にかけて買収した二十二万平方メートルと昭和三十五年に市が先行取得した約六万六千平方メートルを基礎に、新たに四万四千平方メートルを買収して用意されることになった。
新貨物駅は、第一期工事として年間取扱貨物量七十万トンの施設を昭和四十三年から三カ年計画で建設されることになり、昭和四十四年三月二十七日起工式が行われた。施設として上り・下りの仕訳線のほか、小口混載ホーム、コンテナホーム、オートバイホーム、自動車プールなどが建設された。工費の約二十一億円は、国鉄が総額分の特別鉄道債券(利用債)を発行し、浜松市がそれを引き受ける方式で調達された。
【西浜松駅】
昭和四十六年に入って新貨物駅の名称は西浜松駅と決まった。三月五日に仕訳線で本格的な試運転が始まり、四月二十六日に営業を開始した。また開業後の西浜松駅周辺には引き込み線を持つ企業の専用団地、セメントターミナルなどもつくられ、倉庫業者や運送業者が結集した。
西浜松駅は、後述の東名高速道路浜松インターチェンジ周辺に建設される流通業務センターや内陸コンテナ基地とともに、コンテナ輸送をはじめとする貨物輸送の軸となると期待された。また、天竜川駅、高塚駅、舞阪駅など周辺各駅の貨物の取扱いはその後西浜松駅に集約されることになった。
高架化は浜松駅周辺の都市改造と不可分であったため、市では昭和四十二年、同事業の影響範囲にある地域について独自の調査を行った。四十三年度にはこの資料をもとに国からの補助金を得て、県が主体となって調査を行った。昭和四十五年度からの高架化事業の着手に向けて前年の七月には、高架推進課を企画調整部から都市計画部へ移動、業務係、用地係のほか、都市改造係を新設、他部署から再開発係を加えて四係体制とした。また、市議会の国鉄現線高架化促進特別委員会は、昭和四十四年五月十五日にその名称を都市再開発高架化促進特別委員会に改称した。
一方、昭和四十四年六月、県と市が協議した結果、東海道線の高架化事業は、県を事業主体とする都市計画事業として実施することに決まり、用地取得は市の都市改造事業として行われることに決まった。