【貨物営業の廃止】
国鉄貨物駅の西浜松駅の建設が具体化すると、二俣電車線による貨物営業も見直しを迫られることになった。昭和四十一年三月に小口扱貨物を全線廃止し、同四十二年十一月には遠州八幡駅など四駅、同五十一年四月には遠州浜松・遠州馬込など全線で貨物営業を廃止した。
【駅の無人化】
また、合理化の一環として、昭和四十年三月の遠鉄浜松駅に自動券売機を導入し、昭和四十二年五月には新村駅を皮切りに乗降客の少ない駅の無人化を開始した。昭和四十八年には自動券売機を全駅に設置するとともに、無人化を本格化した。
【CTC】
昭和四十二年二月には、遠州八幡─西鹿島間に列車の運行を遠隔操作するCTC(列車集中制御装置)の採用を決定した。同装置は同年十二月二十二日に完成し、早速、運転が開始された。昭和四十四年十二月には新浜松─遠州馬込間にARC(自動進路選定装置)を設置した。昭和四十九年三月、残されていた遠州八幡─新浜松間にCTCが採用され、全線のCTC化が完成した。
【踏切】
なお、遠州馬込─遠州浜松間にある交通量の多い国道一号線の踏切については、昭和三十八年四月に最初の踏切交通信号機を設置した。昭和五十年には代わって自動遮断機が設置され、踏切警手の姿は消えることになった。
この間、国鉄高架化事業と同時に県の都市計画事業の一環として二俣電車線の新浜松─遠州助信間の高架化が計画され、昭和四十七年二月に県から告示された。
【十分ヘッドダイヤ】
昭和四十七年十月一日から鉄道線のダイヤを大幅に改正した。それまでの十五分ヘッドダイヤから、全線にわたり七時から十九時の間を十分ヘッドダイヤとし、十九時から二十一時の間を二十分ヘッドダイヤとして急行列車を廃止、また朝夕のラッシュ時には四両編成の運転を開始した。