遠州鉄道バスは、市営バスと比較すると、昭和四十二年度には営業キロにおいて約八・九倍、走行キロでは七・〇倍、車両数で四・八倍、輸送人員で三・七倍の規模であった。運行系統の長距離化や急行バス(浜松─静岡間・昭和三十八年十月開通、浜松─東岡崎間・昭和四十一年八月開通など)の新設を行った結果でもあった。その後、同バスは営業キロで昭和四十三年には千百十七キロメートル、走行距離で二千二百八十四万五千キロメートルとなった。
車両は、昭和三十四年(下期)の二百九十六台から昭和四十七年(下期)の四百八十一台へ増加した。この間、昭和三十八年度五十両、四十年度九十二両、四十一年度八十五両、四十五年度六十九両の車両を購入して、老朽車両の廃車を進めた。
輸送人員は、昭和三十四年度の三千九百八十万人からピークの昭和四十年度の七千五百四十万人へ八十九%の増加を見たが、その後減少し、昭和四十七年度には六千三百四十万人となった。
昭和四十七年度で、遠州鉄道バスと市営バスを比較すると、遠州鉄道バスは営業キロで約十倍、走行キロで六・二倍、車両数で四・四倍、輸送人員で三・五倍となり、この五年間に市営バスとの経営規模をさらに広げた。