[東名高速道路開通の影響]

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【東名高速道路】
 昭和四十四年五月の東名高速道路の開通を契機に、移動の長距離化、車両の大型化・高速化、そして営業の広域化が顕著となった。まず乗合では、遠州鉄道バスは東名高速道路が部分開通すると昭和四十四年三月に浜松─静岡間の運行を東名経由とした。また、東名高速道路(東京―名古屋間、東京―浜松間など)を走る急行バスとして新しく設立された東名急行バス(株)(同年六月十日運行開始)に参加した。
 
【バンビツアー】
 貸切部門では、昭和四十五年三月から半年間開催された大阪万博による観光需要が貸切バス事業を飛躍させるきっかけとなった。遠州鉄道バスでは、万国博の成功をきっかけとして会員募集を観光の主力商品として位置付けるようになった。この会員募集はシーズンオフ対策としても力を発揮した。昭和四十五年九月には、貸切バス会員募集を「遠鉄バンビツアー」と名付けるとともに、同年には邦人旅行斡旋業を開始した。昭和四十七年度には、車両数百三十一両、輸送人員は百九十七万人となった。
 一方、市営バスの貸切部門も、昭和四十七年一月に国内旅行業の事業を開始するなどしたが、昭和四十七年度には車両数二十二両で、走行キロを九十一万キロメートルに増やしたものの、輸送人員はピーク時の約半分の二十九万人にとどまった。