[ワンマン化の実施]

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 市営バスの輸送人員(乗合)は、昭和三十九年度をピークに、遠州鉄道バスは昭和四十年度をピークに減少に転じた。市営バスは昭和三十二年度から赤字を計上するようになり、遠州鉄道バスも営業利益率は低下傾向を示した。このためいずれのバス事業も経営合理化を積極的に推進して営業状況の改善を迫られることになった。
 
【市営バスのワンマン化】
 まず車掌不足の解消と人件費節約を目的として採られたのが、整理券方式の採用とワンマン運行化であった。市営バスでは、昭和四十一年六月から均一制運賃路線の全バスに運賃箱を設置して車掌の業務を軽減した。同時に、ワンマン運行への転換の手始めとして、昭和四十二年三月一日から均一制運賃路線の北廻線を皮切りにワンマン運行を開始した。また、昭和四十二年度には対キロ制運賃路線の全線に整理券方式を導入し、条件がそろった路線から漸次ワンマン化を実施した。市営バスのワンマン化は昭和四十七年八月に市立病院線のワンマン化によって百%達成された。
 
【遠鉄バスのワンマン化】
 遠州鉄道バスは、昭和四十一年五月に市内均一路線である助信・浅田循環の二路線を皮切りにワンマン化を進めた。また、整理券方式は昭和四十二年二月から雄踏・笠井両営業所の路線で実施し、逐次、各路線に導入していった。ワンマン車両も四十三年から四十六年にかけて九十九両購入するなどして、四十七年二月にはワンマン化率は七十三・六%に達した。