市営バスでは昭和四十一年七月に市役所線の廃止を行い、翌四十二年度からは後述の財政再建計画に基づいて不採算路線の整理統合を進めた。例えば、同年十二月には佐藤浅田循環線を東廻線に、同四十六年には信愛線を西廻線に統合した。昭和四十一年度に営業路線二十五、営業キロ百十九・六キロメートルだったものが、昭和四十六年度にはそれぞれ二十三、百十・一キロメートルとなった。
遠州鉄道バスは、昭和四十二年のダイヤ改正から旅客の流動調査を基に無駄のないダイヤを取り入れた。例えば、渋滞の影響を受けていた遠鉄国道本線(袋井─鷲津間)を浜松を起点にして浜名線と浜松袋井線に分離し、浜松市内線の一部を廃止した。また、将来需要の見込めない山間辺地などでも、昭和四十五年から路線を廃止したり運行回数を減らしたりした。