[経営規模の拡大と合理化]

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 昭和四十六年に市内で最大規模を誇った遠鉄タクシー(株)について昭和三十年中頃以降の動向を見てみよう。遠鉄タクシーは、昭和三十年に遠州タクシーに社名を変更、同三十三年にさくらタクシーを合併した。昭和三十六年に、遠州タクシーは遠鉄グループ傘下となり、昭和四十年、社名を遠鉄タクシー(株)と変更した。同社は、増車および新車への切り替えや無線機の取り付け(同三十四年)などを行い、営業所の新設を図る等した。
 浜名湖観光のクローズアップや浜松経済圏の周辺への拡大に対応して、周辺地域のタクシー会社の系列化が開始され、昭和四十年代に入って本格化した。遠鉄タクシーは、昭和三十七年、三ヶ日タクシー(旧昭和タクシー)、同四十四年、舘山寺タクシー、気賀合同タクシー、同四十五年、宇布見タクシーを傘下に収めた。また、同四十六年と翌四十七年には、いずれも磐田市内のタクシー会社である丸三タクシー、中遠タクシー(株)を、それぞれ系列化した。
 規模の拡大と競争の激化に対応して、同社は、経営の合理化を図るとともにサービス向上や運行管理の充実を図った。例えば、昭和三十八年十月には、タクシー無線機を新たに十機取り付け、同時に全車両にタコメーター(運行記録計)を装着した。また、昭和三十九年にはガソリン税増税に対応して試験的にLPG(液化石油ガス)燃料を使用する車両を二両導入して成果を調査し、その後、漸次、小型車、中型車をLPG車両に転換した。また、昭和四十二年にはオートドアを取り付け、サービスの向上と事故防止を図った。