[道路の改良・舗装と国道昇格]

251 ~ 252 / 1229ページ
 浜松市の道路延長は、国道、県道、市道を合計すると昭和三十六年の約二千五百七十キロメートルから同四十七年には約三千十キロメートルへ増加し、同期間に国道は二十五キロメートルから五十八キロメートル、県道は百三十二キロメートルから百六十五キロメートル、市道は二千四百十二キロメートルから二千七百八十七キロメートルとなった。総延長の増加は、主に市町村合併による市域の拡大(昭和三十五年湖東村、同三十六年篠原村、同四十年庄内村など)と、また県道から国道、市道から県道への組み入れが要因であった。
 
【舗装】
 国道・県道の舗装化率は、昭和三十六年には、一級国道(国道一号線)百%、二級国道(一五〇号線、一五二号線)七十二%、主要地方道(県道名残─舘山寺線、浜松─天竜線、細江─舞阪線など)四十二%、その他県道八・五%であったが、昭和四十三年には、国道一号線百%、他の国道(一五〇号線、一五二号線、二五七号線)九十八・五%、主要地方道九十二・八%、その他県道六十二・六%へ上昇した。
 これに対して、道路延長の大半を占める市道の舗装延長は、昭和三十六年の六十四キロメートルから四十七年には六百七キロメートルへ約十倍に増加した。市道の総延長から見ると昭和三十六年の約二・七%から四十七年には約二十二%に増加した。ただし、自動車交通不能道路(幅員六メートル以下)が四十七年には千二百八十一キロメートル(総延長の約四十六%)あり、これを差し引き自動車交通可能道路だけで見ると舗装率は四十%となった。昭和三十年代後半からの十年間に市道の舗装がかなり進んだことがうかがえる。