【多米トンネル】
東名高速道路の建設が決まり浜名湖観光が脚光を浴びるようになると、観光開発の基盤となる湖岸周遊道路の建設が急務とされた。このため県は、昭和三十七年度に調査費を計上、地元市町村や観光業者などと共に浜名湖周遊観光道路建設協議会を組織した。協議会では、周遊道路は昭和三十八年度から五カ年計画で県道路公社によって施工されること、有料道路とすることなどが確認された。工事は、まず愛知県境の多米峠にトンネルを開鑿(かいさく)して豊橋市多米町─浜名郡湖西町大知波に有料道路を開設し、国道一号線から鷲津・知波田を通って瀬戸までの湖西道路を舗装することから始められた。多米峠有料道路は昭和四十一年七月一日に開通し、湖西道路と結ばれた。
ほぼ並行して、瀬戸─大草山付近を結ぶ有料道路、通称浜名湖レークサイドウェイが計画されたが技術的および資金的問題から区間変更され、新瀬戸橋を建設して、瀬戸から猪鼻湖の東岸を通って三ヶ日町都筑までとなった。同レークサイドウェイは、昭和四十年に建設工事が開始され、昭和四十四年四月一日に開通した。
【浜名湖観光汽船 遠鉄観光汽船 浜名湖遊覧船】
なお、湖上の汽船として、浜名湖観光汽船(株)(鷲津・舘山寺航路など)のほかに、遠州鉄道も昭和三十六年に遠鉄観光汽船(株)を設立、村櫛汽船を譲り受けて航路(村櫛・弁天島など)を引き継いだ。また、同汽船は東名高速道路の開通後にはフェリーボートを就航(舘山寺―寸座間)させた。昭和四十五年二月に、伊豆箱根鉄道系列の浜名湖遊覧船(株)が設立されたが、同五十二年には浜名湖観光汽船は解散、フェリーも廃止された。