【横断歩道 地下道】
歩行者を保護するための交通安全施設の整備、特に横断歩道をはじめ歩道橋や地下道の建設も進んだ。建設省や県をはじめ既述の浜松市交通事故防止対策会議によって、道路照明の設置、交通信号機の設置、学童横断用歩道橋の設置など様々な道路環境の改善事業や交通安全講習会などで意識高揚が図られた。こうした活動の一環として、交通の頻繁な道路や小中学校前の横断歩道への道路鋲(びょう)や信号機の設置、歩道表示線の整備も行われた。また、昭和三十九年には学童が横断するときに持つ黄色い安全旗が横断歩道に置かれた。
【歩道橋】
昭和三十八年十二月、可美村立可美中学校前の国道一号線に村費負担による通学用歩道橋が完成した。これは浜松地方の一級国道では初めての歩道橋であった。陳情が実って市内の歩道橋がようやく実現したのは、昭和三十九年十二月の中野町地内の通学用歩道橋であった。続いて同四十年三月には板屋町の静岡銀行前に歩道橋が完成した。なお、同年三月可美村の可美小学校前の国道一号線にも国費で歩道橋が建設されることになった。
昭和四十一年三月には、地元や浜松市交通事故防止対策会議の陳情により、国道一号線の森田町と子安町に歩道橋が設置された。こうして昭和四十二年四月までに市内の歩道橋だけでも七カ所となった。同年には、三月に塩町の国道一号線に歩道橋を架設することが決定、同年七月には元城小学校前と中部中学校前の市道に歩道橋が建設されることが決まった。後の二つは、交通安全施設等整備事業に関する緊急措置法に基づいて市が施工する初めての歩道橋工事であった。さらに、昭和四十二年四月には板屋町交差点の国道一号線上に、十一月には同交差点の旭町上島線(広小路)上にそれぞれ歩道橋が架橋されてL字型に連結された。
昭和三十九年十二月、平山市長は「現在の一級国道交通を緩和するバイパス道路の建設促進とあわせて、市街地の交通対策にも力を入れ、繁華街の地下道開設も一つの構想として逐次具体化の方向にもってゆきたい」と語った。
【地下道】
繁華街の地下道開設は具体化が遅れたものの、市では初の鍛冶町地下道は、昭和四十二年十一月二十七日に開通した。翌昭和四十三年四月には伝馬町交差点地下道の一部と広小路地下道が開通した。昭和四十四年三月、連尺町の地下道が完成し、同年十二月には市内五番目の地下道として駅前地下道が完成した。さらに昭和四十七年一月には駅南地下道が完成し、同年二月下旬には伝馬町地下道の拡幅工事が完了し、同地下道から百貨店地階に直接入れるようになった。
これとは別に、昭和四十二年六月に伊佐見小学校前の県道に校舎と運動場を結ぶ地下道が完成し、二十七日に開通式が行われた。