【NHK浜松テレビ】
昭和三十四年十二月一日に待望のNHK浜松テレビ局の放送(4チャンネル)が始まった。全国で三十九番目であった。このために市が提供した下池川町牛山の敷地に、高さ百二十メートルのテレビ塔や牛山テレビ放送所が建設され、従来よりも鮮明な映像を楽しめるようになった。放送開始当日には、浜松商工会議所で放送開始式が開催されたほか、公開番組が全国に放送されるなどした。
【ラジオ静岡 浜松テレビ】
NHK浜松テレビ開局に続いて、静岡放送(ラジオ静岡)が昭和三十五年三月一日の開局目指して富塚町にラジオ静岡浜松テレビ(6チャンネル)の準備を進めた。本社から日本平の送信所を経由する映像の中継に電電公社の回線を利用せず、金谷町八高山に独自の中継施設を設ける方法で開始され、三月一日に予定通り開局した。
【NHK教育テレビ】
また、昭和三十五年一月には郵政省で三十四年度分としてNHK浜松放送局での教育テレビ放送を決定した。NHK教育テレビの放送は、東京、大阪、函館に次いで全国四番目であった。周波数2チャンネル(昭和三十六年十月三十一日から8チャンネル)で三十五年九月一日に放送を開始した。
浜松地方のテレビはNHKと民放の三チャンネル体制で推移し、昭和三十九年から商工会議所が中心になってテレビ親局の開設運動を展開したものの、実現に至らなかった。
【テレビ静岡】
昭和四十三年二月に静岡ユー・エッチ・エフテレビ(十一月テレビ静岡に改称)が設立され、同年十二月二十四日からUHF(極超短波)の本放送を開始した。浜松地方には富塚町の送信所を通じて各家庭へ電波が送られ、念願の四番目のチャンネル(34チャンネル)がようやく誕生することになった。