昭和三十年代に始まった高度経済成長は、農家の多くの二三男を都市に生活する勤労者に変え、長男も近所の工場などで収入を得る兼業化を進めた。その結果、農家は少ない働き手でも農業経営が営めるように機械化を進めるが、後継者不足を引き起こしていく。
【集団就職 社会増 自然増】
都市部には近郊の農業地域から移り住む勤労者が増加し始めた。さらに、浜松では昭和三十年頃から東北や九州からの集団就職も始まっていた。このようなことから、表2―42のように、市内への一日当たりの転入者数は転出者数を、昭和三十年代では十年間の平均で六・三人程、四十年から四十七年では八年間の平均で六・八人程上回っていた。この結果、年間二千四百人程度の社会増となり、それが十数年累積していることになる。また、表2―42のように市内での一日当たりの人口の自然増も大きく、昭和三十年代では十・七人程、四十年から四十七年では丙午の昭和四十一年を含めても、十六・一人程であり、年間四千八百人程の自然増が継続していた。なお、第二次世界大戦後の昭和二十二年から二十四年頃は新生児が急増、この現象をベビーブームと呼ぶが、浜松では昭和三十年代後半から四十年代にかけても人口の大きな自然増があった。これらの人口圧の増大が、都市部での住宅難、交通渋滞、ゴミ問題や公害問題などの都市問題を引き起こしていく。
表2-42 市の一日当たりの転入・転出、出生・死亡の人数
年 | 転入 | 転出 | 転入-転出 | 出生 | 死亡 | 出生-死亡 |
昭和30年 | 47.1 | 40.2 | 6.9 | 15.4 | 5.3 | 10.1 |
31年 | 43.0 | 38.9 | 4.1 | 15.1 | 5.3 | 9.8 |
32年 | 45.9 | 39.9 | 6.0 | 15.7 | 7.7 | 8.0 |
33年 | 45.3 | 43.4 | 1.9 | 16.7 | 5.8 | 10.9 |
34年 | 41.8 | 39.5 | 2.3 | 16.5 | 6.1 | 10.4 |
35年 | 49.8 | 38.3 | 11.5 | 16.6 | 6.3 | 10.3 |
36年 | 47.3 | 37.3 | 10.0 | 17.6 | 6.5 | 11.1 |
37年 | 51.5 | 41.8 | 9.7 | 17.7 | 6.9 | 10.8 |
38年 | 57.1 | 56.2 | 0.9 | 18.9 | 6.7 | 12.2 |
39年 | 56.2 | 46.1 | 10.1 | 19.5 | 6.6 | 12.9 |
40年 | 45.0 | 33.3 | 11.7 | 22.4 | 6.9 | 15.5 |
41年 | 57.3 | 53.3 | 4.0 | 14.4 | 6.4 | 8.0 |
42年 | 59.1 | 51.7 | 7.4 | 23.2 | 6.3 | 16.9 |
43年 | 62.4 | 56.2 | 6.2 | 22.7 | 6.3 | 16.4 |
44年 | 70.2 | 66.2 | 4.0 | 22.5 | 6.4 | 16.1 |
45年 | 73.2 | 62.9 | 10.3 | 24.0 | 6.6 | 17.4 |
46年 | 70.2 | 64.2 | 6.0 | 25.6 | 6.8 | 18.8 |
47年 | 69.0 | 64.2 | 4.8 | 25.9 | 6.4 | 19.5 |