[電化製品・テレビの普及と家事労働の軽減]

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【三種の神器】
 昭和三十年は、前年の十二月に始まった好況が本格化し神武景気と呼ばれるようになった年であり、テレビ(白黒)・電気洗濯機・電気冷蔵庫が「三種の神器」と呼ばれ、急速に普及する節目の年となった。さらに電気釜、電気掃除機も含め家庭電化製品の家庭への普及が、炊事・洗濯・掃除といった主婦の家事労働の時間を大幅に短縮させることになった。
 浜松でのテレビの普及台数は、『浜松市統計書』(昭和三十六年三月三十一日発行)によれば、昭和二十九年度には市内で百二十六台であったが、昭和三十三年度までの四年間は毎年約二倍に増えていた。さらに、昭和三十四年度には九千八百二十二台を数え、前年の約五倍の伸びを示している。これは、この年に皇太子御成婚記念パレードの中継があったこととNHK浜松総合テレビジョン局が開局し、鮮明な映像が見られるようになったため、多くの市民がテレビを購入したと思われる。その後、昭和三十年代末にはほぼ一世帯に一台にまでなっている。
 
【カラーテレビ】
 なお、昭和四十三年にNHKがラジオ契約を廃止して、白黒テレビ受信の普通契約のほかにカラーテレビ契約を創設し、カラー放送を大幅に増やしたこと、さらに国内の大手電機産業各社が高性能カラーテレビを大量生産することにより、値段の低下と普及が進んだ。カラーテレビ契約台数は、市内でも、昭和四十三年度には約一万台であったものが、同四十六年度には六万台を超えている。
 
【3C】
 「三種の神器」と言われた白黒テレビ・電気洗濯機・電気冷蔵庫がほぼ行き渡った昭和四十年代になると、新たに「3C」と言われたカラーテレビ・クーラー・カーが消費者の購入したい耐久消費財となった。昭和四十六年に行われた鈴木自動車工業の全社員への耐久消費財の所有状況についてのアンケートでは、扇風機九十八%、電気冷蔵庫八十五%と高率だが、カラーテレビは五十三%、クーラーは三・八%、電子レンジは四%と高根の花だった(『新編史料編六』 七社会 史料11)。なお、電子レンジについては販売促進のために百貨店従業員への実演講習や商工会議所で実演販売が行われていた(『新編史料編六』 七社会 史料14)。これらの耐久消費財が急速に普及するのは昭和五十年代以降となる。