【新生活運動 公民館 結婚式場】
高度経済成長に入っても、農村部では婦人会または農協婦人部や青年団、さらに自治会の運動としても取り上げられていた新生活運動が展開されていた。結婚式は簡素な公民館での神前結婚が依然として盛んであった。昭和三十五年頃、湖東地区では年間七十組の新夫婦が九つの地区公民館で生まれていた(『新編史料編六』 七社会 史料6)。簡素な結婚式を是とする気風も、高度経済成長で都市部だけでなく農村部の収入も多くなるに連れて、戦後ベビーブーマー(市内約六万人)の結婚適齢期を迎え、結婚式場の増設や新設がラッシュとなった昭和四十年代後半には豪華な結婚式が都市部を中心に復活し始めた。結婚式場大手の高町の出雲殿、利町の五宝閣、八幡町の浜松八幡宮などは年間六百組から八百組の挙式数であり、その後、グランドホテルなどのホテルが結婚式場商戦に参入し、多くの客を奪うことになり、昭和四十年代末期からは、工夫を凝らした豪華な式場が増えていった(『新編史料編六』 七社会 史料13)。