【少年非行】
少年非行は浜松市では、戦後の混乱期の昭和二十四年をピークに次第に減少し、昭和三十年を底辺とし、その後次第に増加し昭和三十五年には同二十四年の約二倍を超す事態(五百十三件)となっていた(『広報はままつ』昭和三十七年一月二十日号)。
このような増加傾向の原因について、三方原学園の山内学園長は、絶えない夫婦げんかや父親のなまけ等の家庭の精神的貧困による情緒の未発達を挙げている。また、非行少年をのけ者にしないで周囲の人が進んで愛情を注ぐ必要性を呼び掛けている(『広報はままつ』昭和三十五年三月五日号)。
【浜松市青少年補導センター ママポリス 家庭の日】
そこで、少年非行対策として県下では初めてとなる浜松市青少年補導センターが昭和三十六年七月に市教育委員会に設置され、警察のママポリス三人が相談に応じたり、街頭に出て補導を行うようになった。これは同年十二月に浜松市少年保護センターと改称、教育長が所長で、ママポリス三名と補導員三名で業務を開始した。業務内容として少年非行についての相談や該当する少年への継続補導や街頭補導、さらに市内の小中高校の補導担当教員の連絡と研修等があった(『広報はままつ』昭和三十七年一月二十日号)。また、青少年の指導保護、矯正について総合的な施策立案に向け昭和三十九年四月には、同じく市教委に青少年問題協議会が設置された。そして、昭和四十一年六月には同協議会が毎月第三日曜日を家庭の日と定め、家中での話し合いや大掃除、花づくり、ピクニックやスポーツなどを行おうとの提案がなされ、家族の絆をより太くしていく試みが始まった(『新編史料編六』 七社会 史料8)。
しかし、少年非行件数は、これらの施策にもかかわらず、昭和四十三年にピーク(七百六十二件)となり、その後の昭和四十年代の後半になると減少、昭和四十七年は二百七十四件となった。