[舘山寺の観光と新幹線・東名高速道路の開通]

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【弁天島 舘山寺】
 戦前から市民が浜名湖に遊びに行くと言えば弁天島を指していた。汽車で行けばわずかに十五分、海水浴や潮干狩りに適した良い所であった。戦後もしばらくは弁天島の優位は動かなかったが、昭和三十一年に、遠鉄が出資する舘山寺観光開発が発足し、遠鉄の資本投下はそのほとんどが舘山寺に集中し、昭和三十年代半ばから四十年代半ばにかけて、舘山寺は県西部で有数の観光地に躍進していった(表2―47)。観光客の集客力ではこれまで浜名湖観光の首位にあった弁天島と舘山寺の地位は逆転し、『浜松民報』昭和三十四年五月二十二日付の見出しには「新興勢力舘山寺、弁天島をはね落とす」とあった(『新編史料編六』 七社会 史料88)。昭和三十三年の温泉の掘削成功以降、舘山寺は浜名湖付近での最初の温泉地となった。冬季には閑古鳥が鳴き「夏の舘山寺」といった揶揄(やゆ)は徐々に返上されていった。これで年中、湯治客を呼び込めることになった。
 
【ロープウェイ】
 昭和三十四年、舘山寺観光開発は観覧車やムーンロケットなどの遊具を備えた遊園地と娯楽センター(ヘルスセンター)を御陣山一帯に建設した。三十五年には遊園地の北東に広がる内浦湾を隔てた対岸の大草山に、湖上にかかる日本初のロープウェイを設置し、休日には順番を待つ観光客が長蛇の列を作っていた(『静岡新聞』昭和三十六年五月一日付)。これらの取り組みによって、舘山寺は親子連れから年配者まで楽しめるようになった。
 
【定期観光バス 国民宿舎】
 その後も舘山寺は国民宿舎舘山寺荘の開業、新幹線開通、舘山寺街道の全面舗装、東名開通、フラワーパークの開園といった節目ごとに宿泊客や訪問客を着実に増やしていった(表2―47参照)。しかし、昭和三十九年の新幹線開通によってそれ以前の約三倍の観光客が繰り出した舘山寺であったが、泊まった翌日見るところがないといった観光客の声に押されて、遠鉄は昭和四十二年に、遅まきながら奥浜名湖めぐりの定期観光バスの運行を開始した(『新編史料編六』 七社会 史料91)。また、昭和四十四年の東名高速の開通とマイカーブームの影響で、四月二十九日から五月五日までのゴールデンウィークは前年の倍の約十万人の家族客が舘山寺遊園地を訪れた。しかし、駐車場がマイカーであふれ問題の解決は急務となり、大駐車場の必要性が生じてきていた。このように遠鉄資本を中心とした観光開発の動きと並行して、静岡県が設置し、地元の庄内村が経営する国民宿舎の舘山寺荘が昭和三十七年に開業した。これはロープウェイが到着する大草山の山頂に位置し、景色の素晴らしさ、豪華な設備、低料金などにより開業当初から家族連れなどで大繁盛であった。翌年の『静岡新聞』昭和三十八年一月二十七日付では、客層の六十五%は浜松市を中心とした遠州地方からであったが、県外は愛知・神奈川・山梨が多く、東京からも来ると報じている。これら遠方の客は自家用車で乗り付けるグループが多いという。
 
表2-47 舘山寺の観光開発と宿泊客数の推移

観光開発
宿泊客数
昭和33年
5月、舘山寺温泉が誕生。年末、舘山寺観光協会は舘山寺温泉観光
協会に名称変更。
3.6万人

34年
ネオンの温泉街歓迎アーチを建設。7月、舘山寺遊園地開園。
8月、遠鉄の浜名湖周遊バス運転開始。
11月、娯楽センター(ヘルスセンター)開園。
35年
8月、山長旅館開業。10月、舘山寺観光開発は遠鉄観光開発(株)と
社名変更。12月、湖上を渡る日本初のロープウェイが開通。
36年
3月、国鉄が毎日曜日に特別列車「かんざんじ号」運転開始。
遠鉄観光汽船会社創立。

37年
ロープウェイのゴンドラが宙吊りとなる事故発生。幸いけが人も無く、この
上ない宣伝となった。
国民宿舎舘山寺荘開業。

7.3万人
38年
山水館欣龍、同温泉初の政府登録国際観光旅館となる。
39年
10月、新幹線開通。舘山寺街道が全面舗装。
19万人
40年
5月、遠鉄ホテル開業。7月、庄内村が浜松市に合併。
浜名湖が国鉄周遊指定地となる。
41年
舘山寺温泉テレビ共同視聴組合設立。
23万人
42年
3月、舘山寺遊園地に県下初のジェットコースター登場。
11月、遠鉄は定期観光バスの運行を開始。
26.4万人
43年
4月、浜名湖レークサイドウェイ開通。
新幹線開通以来訪客が急増、各旅館が改築を行う。
33.4万人
44年
2月、東名高速道路一部開通。
45.9万人

45年
7月、皇太子一家が湖北西気賀に来遊、遊園地からロープウェイを
楽しむ。遠鉄は舘山寺線に他線に先駆けて冷房バスを運行。
9月、浜松市フラワーパーク開園。10月、舘山寺ロイヤルホテル開業。
11月、寸座-舘山寺を結ぶカーフェリー就航。

41.6万人
46年
遠鉄観光開発は遊園地パルパル、ホテル寸座ビラージ、寸座リフト、遠鉄
マリーナを相次いで開業。
50.2万人
47年
4月、ボウリング場開業。遠鉄ホテルエンパイア完成。遠州地方最高のノッ
ポビルが話題を集めた。
64.5万人
出典:『静岡新聞』、『浜名湖かんざんじ温泉40周年記念誌』、『浜松経済レポート』第177号、
   『えんてつ』No.118より作成