【ボウリング場】
経済の高度成長で勤労者の所得が上昇すると、余暇の時間を趣味やスポーツに費やすことも盛んになっていった。昭和四十年代半ば頃に、浜松だけでなく全国的に熱狂的なブームになったのがボウリングであった。昭和三十九年三月、浜松初のボウリング場が下池川町に完成した(『新編史料編六』 七社会 史料89)。日本初の本格的なボウリング場が昭和二十七年十二月に東京青山に出来てから十二年目であった。
ボウリングは昭和四十七年が浜松地方では最盛期であった。同年末時点で浜松地区(浜北、舞阪、可美、新居、細江、豊田を含む)にはボウリング場が二十九センター、千七十三レーンもあった(『新編史料編六』 七社会 史料97)。