[昭和三十八年時点の医療環境]

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【医療機関】
 昭和三十八年二月二十日発行の『広報はままつ』(第二〇八号)には、この時点における浜松市内の病院の現状が報じられている。結論として、昭和三十七年に開院した浜松市医師会中央病院、日赤浜松病院の改築、労災病院の誘致、そのほかの病院の増築、一般開業医の大幅な増加などもあって、市内の医療機関は充実しつつあるという。
 この市内の病院の病床数や種別(一般・結核・伝染病)と場所について見ると、
 
  浜松赤十字病院(三四五床、一般・結核、高林町)、厚生連遠州病院(四七三床、一般・結核、常盤町)、国立浜松病院(二九〇床、一般・結核、和合町)、聖隷浜松病院(一一四床、一般、住吉町)、聖隷病院(二九九床、結核、三方原町)、社会保険病院(一五八床、一般・結核、中島町)、浜松鉄道病院(四〇床、一般、海老塚町)、三方原脳病院(二一四床、精神、泉町)、佐鳴湖病院(九七床、精神、富塚町)、神経科浜松病院(二四五床、精神、広沢町)、朝山病院(五四床、精神、住吉町)、浜松市立病院(一三六床、一般・結核、伝染病、鴨江町)、医師会中央病院(九〇床、一般、富塚町)
 
右の通りであるが、『浜松市医師会史』冒頭の「年表」(昭和三十八年二月)に見える「市内の病院」中の病床数の記事には右の『広報はままつ』所載の病床数と異なる点が見える。国立浜松病院二九六床、医師会中央病院七八床とある。ただし、神経科浜松病院の名称と病棟数の記事は記載がない。
 浜松市医師会中央病院については、県西部浜松医療センターの設立へと発展するので後述することになる。また、右の『広報はままつ』の冒頭に「労災病院誘致(二〇六号既報)」とある問題についても併せて後述することになる。
 なお、右の診療科目をいう種別の中で結核を対象にする病院が多いのは、昭和二十六年三月の結核予防法改正に基づいて医療行政の一翼を担ってきたからであり、依然として結核が社会的関心事として継続しているからである。言うまでもなく疾病が診療科目として確立されるのは社会的変貌と医療技術、検査技術の進展とを示すものである。今後とも「一般」に分類された疾病や症状の中から概念化され特大化された結果、診療科目として医療機関で標榜されることになろう。
 右に挙げた市内十三箇所の大病院のほかに、市内の医療機関の現況は前年の昭和三十七年七月末には、診療所百六十九で大病院と診療所の病床数は合計二千九百三床であり、結核・精神病・伝染病を除いた一般病床は千五百九十三床である。
 医療技術者の数は医師が二百八十人、歯科医師が百三十人、看護婦が八百六十二人、保健婦が八十三人、助産婦が二百五十九人、合計千六百十四人。ところが厚生省の基準からすると、病床では一万人当たり五十五床であるので、現状では四百床近く不足という。また人的条件は特に看護婦不足が著しく、市内病院・診療所の共通の問題であり、昭和五十年には人口六十万人が推計されるところから、医療条件は緊急の課題となっているという。
 右は昭和三十八年二月時点の市内医療環境の現状と課題であるが、『浜松市史』四において昭和三十四・三十五年頃までの病院における病棟の新築・増築の状況について既述した。『広報はままつ』(昭和三十八年二月二十日号)に記載された、その後の新築・増築状況を見ると次の通りである。
 
【浜松赤十字病院 浜松社会保険病院 厚生連遠州病院 国立浜松病院】
 浜松赤十字病院では、昭和三十七年七月に鉄筋四階建ての本館を新築し、百十九床を増設した。浜松社会保険病院では昭和三十七年十月に第一期工事が完成し、地下一階地上四階の病棟を新設し六十七床増加した。厚生連遠州病院では鉄筋六階建ての病棟が建築中で、昭和三十八年八月に完成予定という。国立浜松病院では昭和三十六年から総合病院となり、国の国立病院整備計画の一環として外来診療棟が建設中という。
 
【聖隷浜松病院 脳外科センター】
 聖隷浜松病院は昭和三十七年に開院したが、従来の大病院とは異なる特色を持つ病院として発足したので、この点を『浜松市医師会史』によって見ると、診療科は八科(内科、外科、心臓外科、小児科、婦人科、消化器科、呼吸器科、気管食道科)、病床数百十四床の病院であり、県下唯一の心臓血管外科中心の病院として発足している。また、昭和四十年に脳外科センターが併設されたのは、交通事故多発地帯の地域性に基づいて、頭部外傷に対応したものという。
 
【浜松鉄道病院】
 ところで、昭和三十八年二月時点の『広報はままつ』とは別に、『静岡新聞』(昭和三十八年七月五日付)には、「浜松に続々新病院が誕生」という記事が出ている。それは遠州病院の増設工事と鉄道病院の移転工事、並びに労災病院新設の予告記事である。浜松鉄道病院については『浜松市史』四において、主としてその成立事情について述べ、建設地の変遷(海老塚町・浅田町・東伊場町・西伊場町)についてもいささか言及したが、国鉄浜松工場機関紙『はままつ』(昭和三十九年四月号)の記事によって、浜松鉄道病院の診察が同年三月二日から開始されたこと、その診療科目は内科・外科・小児科・眼科・耳鼻咽喉科・歯科・産婦人科であることを紹介した。