[医師の増加]

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 全ての診療科目にわたっての開業医や病院勤務医の増減・消長について、十全かつ正確に把握し難いのであるが、『浜松市医師会中央病院記念誌』、『浜松市医師会史』に見える新旧浜松市域において各診療科を標榜してきた医師会員の動向、特に医会や医学会の総括記事は、その関心を満たしてくれるものである。
 前者においては戦後の医療法の下では幾多の問題点を抱え、それにもかかわらず開業医の医療水準を高めるためにはオープンシステム方式に基づく病院を建設するに至った、国と浜松市の行政を捲き込んで、その情熱を注いだ開業医と関係者の証言が記録されている。生々しい感想や証言には引き込まれるものがある。しかもこれに関与された人々のうちには、もはや鬼籍に入られた人も多いのである。
 後者においては、戦後日本の医療問題の諸相を踏まえ、診療の現場からの問題意識を展開させる手法として、医師会長の在職期間によって時代認識を画していく叙述は説得的であろう。戦後動乱期から秩序回復を図る過程で生起する因果関係に、時代の証言者として肉薄する姿勢から受けるものは、言及された人々の思想と行動に向けられた敬仰であり、話者読者ともどもに粛然とさせるものがあろう。
 
【渡邊登】
 浜松市医師会が右の画期的業績を実現させた医師群像のうち、強いて一人を『浜松市医師会史』から抜けば、開業医渡邊登が挙げられようか。右書の「座談会」の記事中に室久敏三郎が渡邊登を総括した評言が見える。それは「渡辺教マインドコントロール」である。言うまでもなくその主旨は浜松市医師会を牽引し続け成果を上げた鋭角的論者渡邊登の知見と人間への敬仰を言うものであろう。
 渡邊登(大正四年―平成二十年)の思想と行動の原点は父兼四郎の生き方にあろうか。『浜松市医師会中央病院記念誌』の稲留研三との対談の中で、渡邊登は父親について、徳川慶喜の家来の出自を有し、浜松における幕末期以来の医家内田正の書生となり、その経歴により医術開業試験を受けて医者になったと語っている。明治七年八月の「医制」の第三十七条(翌八年の改正医制では第十九条)に基づく医術開業試験制度の下で受験したと思われるから、定めし浜松病院長太田用成等が出版した『七科約説』(開明堂印刷)を頼りにして合格したものであろうか。
 大正十四年刊の『日本医籍録』(深瀬泰旦蔵書)によれば、渡邊兼四郎は明治十八年九月二十八日生まれで、明治四十四年に右の試験に及第している。また、昭和六年刊の『日本医籍録』(順天堂大学山崎文庫蔵書)には日本医学校を卒業し、浜松新町二十二番地の友施病院勤務を経て大正二年に東田町に開業したことを登録している。友施病院は兼四郎がかつて書生をしていた内田正の経営する内科病院で、内田正は陸軍軍医の経歴があり、明治十二年には「虎烈刺病予防法 友施齋藏版」を頒布しコレラ予防法の啓蒙活動をしている(『新編史料編二』 九医療 史料12所収)。 
 父兼四郎はキリスト教徒として早くから長谷川保の事業を助け、聖隷保養農園の医師として、また経済的援助を惜しまない開業医であった。 
 登は大正四年九月、浜松市菅原町に生まれた。昭和十五年に東京帝国大学医学部を卒業し、柿沼内科に入局した。翌年に陸軍軍医となり、昭和二十一年に帰還し、東京大学医学部助教授を務め、後に兼四郎の後継者として浜松に戻り、同二十八年に浜松市医師会に入会した。このような経歴ゆえの自己省察から出た開業医の魅力を背景にして、医師会中央病院建設への情熱は医師会においても説得的であったろう。室久がいう「渡辺教」のカリスマ性であろう。
 医師が時代の要求に見合うようにして増加する典型的な一例証は、『浜松市医師会史』の中の「浜松市小児科医会」を執筆した長尾静夫・豊田義男・稲留研三の記事に見える。
 敗戦直後の昭和二十二年、新生の浜松市医師会が発足したけれども、唯一小児科のみを標榜する医師は開業医に三名、病院勤務医三名という寥々(りょうりょう)たる人数であった。診療科目に小児科を設置する病院は浜松赤十字病院と遠州病院であった。以後年次を追って小児科の開設をみると、同三十六年に浜松鉄道病院(国鉄浜松工場『五十年史』)、同三十七年に聖隷浜松病院、同四十八年に県西部浜松医療センター、同五十一年に聖隷三方原病院、同五十二年に聖隷浜松病院に未熟児センター、同五十二年に浜松医科大学医学部附属病院、同五十七年に静岡労災病院、同五十八年に浜松社会保険病院である。医師の人数は各病院に一、二名の勤務医、同三十八年頃の開業医は七名が「浜松市小児科医会」の記事に見える。なお、この科会は同五十三年に設立された。会員は三十名~四十名としている。かくて昭和三十四年頃から小児科医数が増加し、同二十二年時点から見ると、平成七年には約九倍になったと記している。他方、疾患にも変動があり、戦後しばらく伝染病や破傷風、回虫の疾患があり、医薬品の進歩や各種ワクチンの開発によって、感染症は漸減し、アレルギー性疾患や心身症、川崎病が目下の問題であるという。