東洋歯科大学

350 ~ 353 / 1229ページ
 昭和三十八年四月には(仮称)東洋歯科大学建設のための用地買収交渉の着手があったことが話題となったようであるが、昭和三十九年三月七日付『静岡新聞』の記事によると、「東洋歯科大を建設する計画は昨年十月同大学関係者でつくっている期成同盟会」から市当局に協力方を申し入れ、志都呂町に約十万平方メートルの建設地を内定したという。これについて浜松市は全般的に医療施設が不備であることから、「乗り気でさっそく敷き地の確保に協力した」という。以下に『静岡新聞』紙上に見える経過記事を追うと次のようである。
 
【建設期成同盟会 歯科医師会】
 東洋歯科大学建設期成同盟会の計画は「総工費十億百万円で鉄筋コンクリート四階建ての校舎と同三階建ての付属病院を建設し、歯学部歯学科に定員百二十人を収容して三十九年度中に開校する予定。病院は四十年度から開業し、四十四年度に全工事を終わろうというもの」である。これに対して地元の歯科医師会は「教育施設だけならまだしも病院の併設は地元の歯科医院を圧迫するものであると建設の本決定を前に反対ののろしをあげた。歯科医師会では、もし同施設を建てるようなら保険診療と治療を返上しても反対する」(同三十九年二月二十三日付『静岡新聞』)とした。
 歯科医師会側の主張の原点は不動であり、そのための反対運動の方法にはいくつかの手続きを踏んでいる。まず、東洋歯科大学の浜松市設置に反対する県西部歯科医師会(会員数三百人、浜松、浜名、引佐、磐周、小笠・掛川)の賛意を取り付け、対策委員会をつくって誘致返上運動を起こして浜松市長、市議会議長に撤回を申し入れた(同三十九年三月七日付)。次に県歯科医師会定期総会で反対を決議し全県的な反対運動を進めた(三月三十日付)。その上で全国歯科医師会長会の同意を取り付けている(五月二十二日付)。
 期成同盟会の説明で明らかになった点は、六年制で一学年百二十人定員、付属病院は四十三ベッド、学生実習を兼ねて一日三百人の外来患者を扱うということである。この東洋歯科大学設立に反対する理由の細部の点には、「①設備不備のため東京で廃校になった学校を浜松で再建するなど納得できない、②歯科大は、人口百五十万―二百五十万都市に一校の割りだから人口三十七万の浜松では実習につかう患者が足りない、③入学者から一人百五十万円以上の寄付金をとるというが、それならば一般市民だれでも入学出来る教育施設をつくるべきだ、④一般外来患者を扱うことによって既設医師の生活権が極度におびやかされる」(三月七日付)という主張があった。
 さらに三月二十五日には話し合いのための三者会談(平山市長等、滝口歯科医師会長等、期成同盟会長和久本会長等、司会・牧野市議会議長)が設けられた。その際に明確になった点は、大学病院の収入はどの程度か、というものである。他の歯科大学付属病院の例から見て年間一億円から一億三千万円という金額であることが判明した(三月三十日付)。この点こそ開業医としての歯科医が大学設置に反対する根拠があるようである。歯科医師会側の主張によれば、浜松市の「歯科医は百十七人で年間約八千万円に上る国保診療を扱っている」(三月十一日付)から右の病院収入は「約倍額の数字に相当する。これでは歯科医の収入はおびやかされる。そうなれば最低料金で奉仕している浜松市の国保を辞退して減収を補わなければならなくなる」と主張し、自衛措置としての国保辞退という切り札に言及せざるを得ないのであろう(三月三十日付)。
 それにもまして期成同盟会側からの発言の中には、生存権を盾に反対する歯科医師会側を納得させるだけの建学の理念が表明されたかどうか、この記事からは窺(うかが)えない。まして東京での「廃校」(三月七日付)の真偽はともかく、文部省の設置基準を充足させるに足る理念と建設構想を浜松で具現するものがあったかどうか、この三者会談の記事には表れていない。
 三月二十五日の三者会談では建設同盟会の建設資金問題が表明されている。それは大学期成同盟会が三井物産から無利子で八億円の融資を受け、それを学校法人に寄付する形を取るので営利目的でもなく、大学設置基準に反しない、ということであり、ベッド数が歯科大付属病院にしては多過ぎる、何か別の目的があるのではないか、という点は、設置基準に反することでもなく、またベッド数が基準を上回る分には一向に差し支えはないと反論している。かくて三者会談は対立を深めた結果に終わった。さらに五月十二日、期成同盟会長が浜松で記者会見をした。その際に発表したことは、土地買収費約九千万円、建設費七億五千万円を三井物産から借り入れ、自己資金一億六千万円であり、校舎と付属病院は清水建設が請け負う。学長、事務局長、医師などの人事も内定し図書も発注した。後は私立大学設置審議会の審議を経て許可を待つだけという。しかし、四十年開学のためには十一月初旬までに全工事の二十五%まで進まないと大学設置基準に合わないため、許可が遅れた場合でも六月末ないし七月初旬に着工し、定員百人を収容する校舎、付属病院の一部を建設することになるという説明であった。
 ところが浜松市歯科医師会長が文部省に問い合わせた点、それは文部省による十一月頃の実地検分では二十五%工事が進んでいれば認可になるという期成同盟会長の言明の真偽をただしたものであるが、文部省事務官の説明では五十%の工事進捗が絶対条件であるということが判明した。
 歯科医師会として大学建設の前途が暗いと見たのは、右の工事進捗状況の問題と、三井物産からの融資問題も決定されたものではないという観測が生まれたことからである(同三十九年五月二十二日付『静岡新聞』)。果たして同年七月十日付の記事には三井物産からの融資が難航し、四十年度の開学が困難な情勢となったと報じている。しかも約二百人の地主から買い上げる農地は、いまだに農地転用の申請も出ていない状況である。
 昭和四十年二月十九日付『静岡新聞』には、期成同盟会長が二月十八日に平山市長を訪問し、浜松市に建設を予定した東洋歯科大学の新設断念を伝えた。これで浜松市歯科医師会が日本歯科医師会の支持を受けて展開させた歯科大学設置反対運動は終息した。反対同盟会も二月二十七日頃までに解散するという。
 右の一件は高度成長期に現れた大学建設気運の一翼を狙うもののようである。また三者会談で大学教育における学用患者としては生活保護家庭や老人を対象とすると言及した点は、時勢のおもむくところの医療福祉の観点が提示されているようであり、やがて到来する高齢化社会に対応する口腔保健医療問題を予告する点を孕(はら)んでいようか。