看護婦養成施設

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【浜松高等看護学院】
 他方、市内の看護婦養成施設のうち、正看護婦学校は国立浜松病院附属高等看護学院のみであり、准看護婦養成所は浜松市医師会附属准看護婦養成所、遠州病院付属准看護学院、聖隷准看護学園の三カ所。このうち浜松市医師会附属准看護婦養成所以外は、建前として各病院の「自給自足」看護婦養成所であり、開業医に向けて就職するのは浜松市医師会附属准看護婦養成所の年間七十人程度という。しかも資格は准看護婦であり、正看護婦になるためには、さらに三年以上の実務を経験するか、高等学校卒業者の場合は二年課程の再教育を受けてから、国家試験を受けて正看護婦になる道がある。しかし、浜松市には准看護婦から正看護婦への進学コースはなかった。この正看護婦の不足を補うための県立看護婦養成所の誘致であった。県下では静岡市に次ぐものである。昭和三十九年九月四日に浜松高等看護学院という名称で開校された。初め仮校舎は海老塚町の元市立授産所を使用したが、本校舎は富塚町の医師会中央病院横に建設し同四十年三月二十五日に落成式が挙行されている。発足時の学生定員は二十名であったが、将来看護婦不足を緩和させるために、六十人とする計画があるという。市内に大規模病院の開設が想定されていたものと思われる。同三十九年八月三十日付『静岡新聞』には、四十年度中の医師会中央病院(六十床)、四十一年度の静岡労災病院開業(三百床)による増床が見込まれるという記事がある。
 
【看護婦の不足】
 看護婦の絶対数の不足が意味するところは、医療施設の拡充に追い付けないこともあろうが、根本問題としては看護婦の待遇問題があろう。昭和三十七年十一月四日付『静岡新聞』では「看護婦不足の主な原因は普通の公務員に比べはるかに給与が少ないことと看護婦不足で勤務時間の交代制が思うように運ばず過労におちいりやすいという点」を指摘している。医療行政に対する県医師会の要求は県下六カ所の各医師会が准看護婦を養成する施設に助成金(一施設年間二十万円)を補助してほしいという陳情である。
 看護婦不足を補うために日本看護婦会県支部西部副支部では、浜松駅前などで街頭呼び掛けを行い、看護婦不足の深刻な状態への理解を求めている(昭和四十年十一月十六日付『静岡新聞』)。他方、聖隷浜松病院では同四十年十一月から二十五人の韓国人看護婦を採用しており、その後十三人が帰国したが、同四十三年四月二十九日付『静岡新聞』には、高林町の韓国人牧師李楨烈の紹介でベテラン看護婦安貞淑が来日したことを報じている。
 また、昭和四十四年二月十一日付『静岡新聞』には、この年度の病院勤務の医師、看護婦、薬剤師等の充足状況の一端が報じられている。浜松保健所と県医務課では、「同保健所管内の浜松、浜北二市と浜名郡下の舞阪、雄踏、可美など三カ町村にある病院(ベッド二十床以上、医師三人以上)二十一院について、医療法に基づく定期医療監視」を行った。「同保健所や県医務課の職員が、各病院の診療、入院、給食、管理など各部門の人員、設備、運用面を総点検するもので、中心点はやはり人員編成」にあるものである。その中間結果報告では、「国民健康保険のオール七割給付などにより、どこの病院も最近患者が急増し」、「医師や看護婦など人手不足が目立」つ状態という。とりわけ、「最近は、医師の〝専門化〟が進み、患者も医師を選択するような傾向にあり、実質的な医師不足は数字に表われた以上」という。
 右のような状況を踏まえて、浜松市議会は全員協議会を開き、医療問題特別委員会を設置する方針を決めたことが、昭和四十六年十一月二十五日付『静岡新聞』に表れている。
 その重要課題とは、①四十八年四月に医療センター開業を控えている、②看護婦の確保が急務となり、市立高校に看護科の設置要望がある、③医大の浜松誘致問題を抱えている、というものであり、これら地域医療の重要課題に対処するために、委員十二名で構成する特別委員会が十一月議会で発足すると報じている。