[吉田知子の芥川賞受賞]

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【吉田知子】
 吉田知子の芥川賞受賞は、昭和四十五年(上半期、第六十三回)のことである。対象作品は同年四月『新潮』誌上に発表した「無明長夜」で、古山高麗雄の「プレオ―8の夜明け」と同時受賞であった。この年三十六歳。本名吉良知子。昭和九年浜松市三組町に生まれる。父は職業軍人で、その転勤に伴って、大阪、名古屋、満州新京(今の長春(チャンチュン))などを転々とし終戦時は樺太の豊原に居た。父はソ連軍に連行され消息不明となる。昭和二十二年三月日本に引き揚げる。二十七年四月、浜松北高校から名古屋市立女子短期大学経済科へ入学。卒業後、誠心高校(現浜松開誠館高校)に勤務(昭和三十五年退職)。三十二年に浜松女子商業高校(現浜松修学舎高校)教諭の吉良任市と結婚する。文芸活動としては、『文芸首都』に投稿して初めて作品が掲載されたのが十九歳の時。昭和三十七年に『県民文芸』で知事賞を受賞(「寓話」昭和三十六年)。続いて昭和三十六年度の『浜松市民文芸』で浜松市民文芸賞を受賞(「膨脹」昭和三十六年)。既に見てきたように、夫である吉良任市と仲間とで同人誌『ゴム』を創刊したのは昭和三十八年のことである。
 
【「無明長夜」】
 芥川賞受賞作「無明長夜」を、要約したり説明するのはかなりむつかしく、先に記した「ビルディング」(『ゴム』創刊号所載)の場合と同様である。吉田の受賞を取り上げた新聞記事(『朝日新聞』遠州版、昭和四十五年七月二十一日付)の伝える吉良任市の言葉が参考になるであろうか。
 
  一般の小説のように全編を通したスジはなく、ちょっと私小説ふうですが、これは読む人が決めることだと思います。内容はひとくちにいって、断片的な日常のそう話を通じて、生きることと考えることのけん怠感が中心です。主人公の女性の精神内容を書いたものですが、選ばれたのはおそらく新鮮さが認められたのでしょう。
 
 九名の選考委員の内、中村光夫以外の八名が受賞に賛成し、特に三島由紀夫は選評(『文芸春秋』昭和四十五年九月号)において激賞した。後に三島は『小説とは何か』(昭和四十七年、新潮社)において、「無明長夜」を取り上げ文学と狂気との関係を論じている。
 その後の吉田であるが、浜松の地を離れることなく旺盛な執筆活動を続け、『満州は知らない』(昭和六十年二月、新潮社)で第二十三回女流文学賞、「お供え」(『海燕』平成三年七月号)で第十九回川端康成文学賞、「箱の夫」(「外出」改題、『文学界』平成九年一月号)で第二十七回泉鏡花文学賞を受賞。また平成十二年に第五十三回中日文化賞を受賞している。

図2-63 『無明長夜』