【『東海文化新聞』】
『浜松文化モニター』よりも早い創刊で、ほぼ同じ頃に消えていったローカル紙に、『東海文化新聞』(月刊)がある。浜松市立中央図書館に保存されているのは、第48号(昭和三十八年五月十一日発行)以下(ただし欠号あり)で、創刊号を見ることは出来ないが、第201号(昭和五十一年二月十一日発行)の特集記事「弐百号記念 東海文化新聞の誕生前と生立ち」によって同紙の歴史を概観することが出来る。同紙の編集発行人は高橋国治で、鹿谷町において文房具店(戦前は軍需品店)を経営していた。以下の記述は、高橋の執筆と思われる前記特集記事に基づくものである。
戦前浜松にあった高射砲第一連隊では、いわば広報として『あさみどり』という新聞を発行していたが、高橋はその発行兼編集兼印刷人であった。これは昭和六年八月から同十年八月(第27号)まで続いて終刊となる。高橋は、同年二月に月刊紙『喇叭の響』を創刊。同紙は浜松市立中央図書館に保存されているが、創刊は戦前の昭和十年の紀元節二月十一日で、第一面に大きく「祝紀元節」の見出しがあり、次号以下も皇国史観的記事が中心である。同紙は二年後の昭和十二年七月、高橋の応召によって休刊となった。戦後になって高橋は、小学校のPTA会長等を歴任し、教育問題に関心を深め、昭和三十六年七月『西遠児童文化』という月刊紙を創刊する。この創刊号の一面欄外に「第31号(喇叭の響改題)」とあるのが注目される。同紙が「内容を充実し、広範囲にわたるよう」にとの意図の下に昭和三十八年三月号から改題されて発行されたのが『東海文化新聞』であった。
さて、同紙の記事内容であるが、史談・郷土のまつり・伝説・時の話題といったものが取り上げられていて、「日本の国旗と国家」「靖国神社は国家で護持すべきです」といった特集が目に付き、論調が総じて皇国史観的である。浜松市立中央図書館に残されている同紙の最も新しいものは、平成元年六月号(六月十一日発行)で、その頃をもって終刊になったものと思われる。