【浜松市美術館】
前述した通り、浜松市美術館の落成は昭和四十六年六月三十日のことである。開館までのいきさつとその後の歩みについては、「開館20周年 浜松市美術館の120選」の展示(平成四年一月二十二日~二月十六日)に際し発行された図録中の文章「浜松市美術館の20年」に詳しい。それによれば浜松市では戦争により壊滅的な被害を受け、敗戦後は約二十年の間美術館が無いまま市公会堂、市立図書館、郷土博物館、市民会館などが不十分ながらその役割を果たしていた。浜松市に対して美術館建設の陳情が浜松ユネスコ協会、美術館建設促進美術連盟によってなされたのは昭和三十九年。これを受けて、この年建設資金の受け皿として美術館建設基金条例が制定され、昭和四十五年美術館建設準備委員会が発足、七月着工。翌四十六年六月三十日に落成、七月一日、市制六十周年を記念して浜松市美術館は開館した。開館記念の展示は前述した内田六郎寄贈の「ガラス絵展」と「遠江の廣重展」であった。同美術館は当時県内では唯一の公立美術館であった。開館五周年の昭和五十年には「岸田劉生とその周辺」、「崋山と弟子たち」の二大展示が企画され、以後五年ごとに内容の濃い展示がなされてきたが、平成三年には、開館二十周年記念の一つとして、「浜松市美術館の120選」が企画され、前記図録が刊行された。
この間県内では、昭和六十一年に静岡県立美術館が開館し、浜松市では同六十三年にクリエート浜松が開館して館内に市民ギャラリーが設けられ、美術をめぐる状況は大きく変化した。浜松市美術館では地方公立美術館の役割を、一級の美術を紹介することと地方の美術を発掘紹介することにあるとしつつ、美術館のあるべき姿を模索しつつある。