[浜松よい映画をすすめる会の活動]

396 ~ 397 / 1229ページ
【浜松よい映画をすすめる会】
 戦後の日本文化の向上発展の上で、映画の果たした役割には極めて大きなものがあった。映画は既に戦前から大衆の娯楽として重要な位置を占めていたが、特に戦後において爆発的な人気を博することとなった。『浜松市史』四において記したように、日本で映画人口がピークに達したのは昭和三十三年で、その数は十一億二千七百万人であった(浜松では、同三十四年の五百五十三万人がピーク)。その後もピークを越えたとは言うものの、国民の娯楽の中で映画の占める割合はかなり大きなものがあった。そのような状況の中で生まれたのが浜松よい映画をすすめる会であった。同四十一年四月、浜松市教育委員会が作成したパンフレット「浜松よい映画をすすめる会」によれば、会の発足は同三十七年十月一日である。目的には「本会は、青少年の健全な育成と市民生活の向上をはかるため、映画について優良なものを推奨することを目的とする。」とある。また、運営のところには「本会は、業者からの申請に基づき、または委員が必要と認めたものについては申請をまたないで選考し、優良なものは『浜松よい映画をすすめる会推奨映画』とする。」とある。事務局は教育委員会内にあって、委員の数は二十名以内。名簿を見ると、当時の教育長、図書館長のほか市内の小中学校の校長・教諭、市立高校の教諭のほか、勝見次郎(小説家、ペンネーム=藤枝静男)、内山恒雄(浜松民報記者)、村越一哲(脚本家・演出家)らの名前がある。推奨した映画の一覧表には、会発足当時(昭和三十七年十~十二月)の作品として「二十四の瞳」「放浪記」「しろばんば」「禁じられた遊び」などの題名が見える。
 その後、テレビの普及等の理由により、映画館での映画の鑑賞人口が年ごとに減少の一途をたどったことは周知の事実である。そのような社会情勢の変化に伴って、約四十年間続いた同会による映画の推奨は平成十四年三月をもって終了となった。