[方言の研究とその成果]

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 飯尾哲爾の主宰した『土のいろ』(大正十三年創刊)を見ると、同誌に最初に遠州方言関係の記事が掲載されたのは大正十五年九月の第三巻第五号で、平松東城が「方言」(小笠郡大淵村地方)と題し、方言として採集した言葉の一覧を寄稿している。以後昭和十五年に休刊するまでに、方言に関するレポートや論文が三十編近く掲載されている。戦後『土のいろ』が復刊されたのは、昭和三十年のことで、復刊第一号(昭和三十年八月)に、山口幸洋(浜名郡新居町新居在住)が「浜名地方のうまのり遊びの方言」なる一文を寄せている。以後山口は、同誌が廃刊となる昭和四十三年十二月まで、数編のレポートないし論文を寄せている。
 
【方言研究 寺田泰政 『遠州方言のアクセント』】
 本書の扱う昭和三十四年以降の遠州地方での方言研究の状況はどのようなものであったであろうか。復刊された『土のいろ』に掲載されたレポートや論文、また、遠州地方の研究者の手による遠州方言に関わる研究書を調べてみると山口幸洋の業績が際立っているが、ここでは浜松市在住で、浜松市立高校の国語教諭であった寺田泰政の著書『遠州方言のアクセント』(昭和四十五年十月、美哉堂書店刊)を取り上げておきたい。この書の特徴は、寺田の学問上の師であった金田一春彦が序文の中で「オーソドックスな遠州方言の学者といったら彼をおいてほかにない」「かれは本当に信頼できる学者」と述べている通り、極めてオーソドックスで厳密な学問的姿勢で貫かれていることである。また著者の「まえがき」によれば、この本は遠州方言のアクセントについて述べたものであるが、それにとどまらず、それを通じて日本語のアクセントを論じ、その成立や研究方法などを明らかにするという側面をも持っており、極めて専門性の高い著書である。しかしながら、「アクセントと国語教育」「アクセントとわたし」の章が設けられているところからもうかがわれるように、専門性は高いが読者に少しでも親しみやすい本とし、身近な問題として捉えてもらおうとする配慮がうかがわれる一冊となっている。寺田はこの後、遠州国学の研究に力を注ぎ『賀茂真淵』(昭和五十四年一月、浜松史蹟調査顕彰会刊)を刊行するなど多くの業績を残した。

図2-68 『遠州方言のアクセント』