図3-1 栗原勝市長
平山市長は昭和五十四年四月の市長選に六選を目指していたが、同五十三年十二月に断念、同じく立候補が噂されていた民社党の竹本孫一代議士も立候補を取り止めた。ここに至って市議会で絶対多数を占めていた松和会は助役の後藤瑛(あきら)の擁立に動き出した。これに対して平山市長は同五十四年一月になって浜松商工会議所などの財界が推す栗原勝収入役を擁立する方向に動いた。後藤助役はこうした動きを見て市長選への不出馬を表明し、市長に対して辞表を提出する事態となった。松和会と平山市長の間では様々な駆け引きが見られたが、二月に至って松和会も栗原収入役の推薦を決めた。野党の社会党は初めは栗原支持に回っていたが、最終的には自主投票となり、四月の市長選は無所属で保守・中道推薦の栗原勝と共産党の森川健との一騎討ちになった。四月二十二日に行われた市長選では栗原勝が十九万六千票余を獲得、五万票余の森川を破って初当選を果たした。栗原は市役所の職員、建築関係の仕事や企画調整部長、財政部長、収入役などを歴任、浜松市政に精通していた人物であった。当選後の会見で、栗原新市長は懸案の重要事業(東海道本線の高架、駅周辺の整備、浜松城公園の整備、動物園の移転、西部衛生工場の建設など)を早期に完成させたいと語った。