[低成長下の市政と財政]

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 平山市政最後の予算編成となった昭和五十四年度当初予算が同年二月七日に発表された。次期市長にバトンタッチする予算のうち一般会計は七百八十二億円で、前年比十三・七%の伸びではあったが、この伸び率は過去十年問では最低で、前年度の伸び率三十四・九%には遠く及ばなかった。厳しい経済情勢の中で、浜松市は限られた予算をより効果的に活用すべく、第二次総合計画の基本計画にそって総合福祉都市の建設を目指した。この予算は一期目の栗原市政によって執行されることになった。同五十五年度予算は栗原市政初の予算編成であったが、一般会計は八百八十八億円、前年度比は十三・六%とここ十年では最も低いものであった。これは国の政策を受けて市債額を減らすなど健全な財政運営に努めたからであった。この後は次第に伸び率が低下、昭和五十八年度の一般会計予算は八百七十三億円となり、同三十四年度以来二十四年ぶりにマイナスとなった。こうした中にあって栗原市長は経費の節約に努めるとともに、第二次浜松市総合計画新基本計画に沿って豊かな人間都市づくりを目指した。この年の四月の市長選で再選を果たし、その後は経済情勢も好転し、昭和六十二年度の一般会計予算は前年比七・九%増の千五十二億円となり、初の一千億円台に乗せた。