浜松市は昭和四十年代から『広報はままつ』などで地震に関する情報を流し、物の備えと心の備えを呼び掛けてきた。避難場所の指定や非常持ち出し品の備え、地域によっては地区防災班を設置した。平山市政下の昭和五十一年度からは耐震防火水槽の設置や無線網の整備・拡充、防災倉庫の設置、応急救護施設用備品の整備などの防災対策を進めていた。
【東海地震 浜松市地域防災計画 自主防災隊】
昭和五十一年八月、東京大学理学部の石橋克彦助手によって「駿河湾に大地震発生の恐れあり」との東海地震説が発表された。この地震説の発表は大きな社会問題となり、県や市町村はそれへの対策を急ぐこととなった。国は昭和五十三年六月に大規模地震対策特別措置法を公布(同十二月十四日施行)、これに基づいて同五十四年八月に静岡県の全域と山梨県のほとんどの地域などが地震防災対策強化地域に指定された。これを受けて浜松市は同五十五年三月に『浜松市地域防災計画』東海地震対策編を作成し、次のような対策を進めた。
①防災体制の整備 警戒宣言の発令時や地震発生時には市役所に警戒本部を置き、三十五地区に地区防
災班を設置する。
②自主防災隊の充実 昭和五十一年から組織され始めた自主防災隊は同五十五年までに三百九十一に増え
たが、この防災倉庫や資機材を助成する。
③消防力の強化 防火貯水槽や可搬式動力ポンプの整備
④避難場所の防災資機材の整備
第一次避難場所になっている小中学校(幼稚園や公民館を含む)八十七カ所に防災倉
庫を配置し、発電機、浄水機、非常用給水タンクを設置する。
昭和五十六年五月一日、県警本部と浜松中央警察署間にマイクロ波を利用した無線電話回線が開通した。これは大規模地震対策特別措置法に基づく強化地域の指定に伴い設置されたもので、災害時用では全国初であった。市は総合防災訓練を実施し、また、県や国、自主防災隊と連携しての総合地震防災訓練を行ったり、学校や企業なども防災訓練を実施するようになった。