【浜松地域テクノポリス基本構想 都田開発区 先端技術産業】
昭和五十五年三月に通産省がテクノポリス構想を発表すると、浜松市は同年八月に誘致の要望書などを通産省や県などに提出した。同五十六年六月には浜松市、浜北市、天竜市、細江町、引佐町の三市二町などで浜松地域新技術産業都市構想推進協議会をつくった。この協議会で浜松地域テクノポリス基本構想を策定し、同五十七年四月に通産省に提出した。同月早くも通産省の担当者七名が浜松市に訪れている。この基本構想を基に、同五十七年八月から浜松地域テクノポリス実現に向けての具体的なプログラムを織り込んだ開発構想の策定に入り、同五十八年三月に終了した。同年五月テクノポリス法(高度技術工業集積地域開発促進法)が公布され、同五十九年三月に他の八地域とともに全国で初めて承認された。同年四月一日には都田地区開発事務所を開設して開発区域と土地利用計画案を策定、同六十年からは用地買収の契約を開始、同六十一年度から浜松地域テクノポリスの中心地(都田開発区、二百四十三ヘクタール)をつくるべく西遠広域都市計画事業都田土地区画整理事業が開始された。ミカン園や茶畑などの農地と山林に大型の重機が入り、立竹木の伐採が始まったのは同六十二年四月のことであった。浜松地域テクノポリスの一環となる浜北リサーチパーク(十七ヘクタール)の造成は昭和六十三年三月に完工、同年四月には浜松地域テクノポリスの人材を養成する常葉学園浜松大学が開学、七月にはテクノランド細江(三十八ヘクタール)の造成が完了した。そしてこの地域への企業誘致活動が始まった。浜松市がテクノポリス建設に動いたのは、これまでの繊維・楽器・オートバイの三大産業の高度技術化を進めると同時に、これから花開く光技術産業やメカトロニクス、新エネルギー産業などの先端技術産業を育成し、二十一世紀を展望した豊かな人間都市をつくろうとしたからであった。