[放置自転車への対応]

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【放置自転車】
 放置自転車は戦後しばらくしてから劇場やパチンコ店などの前、商店街などに目立ち始め、様々な対策が取られてきた。しかし、一向に改善されることなく時は過ぎていった。浜松中央警察署管内では昭和四十七年(一九七二)の一年間に自転車の盗難届けが二百八十五件に達し、全盗犯の十・五%を占めていた。これはほとんどが放置自転車で、カギを掛けていないものが多かった。また、浜松駅周辺には有料の自転車預かり所が幾つかあったが、有料を嫌って歩道に停める人たちが増え、浜松駅表口西側の歩道にはこの頃百台以上の自転車が放置され通行人を困らせていた。警察はこれらの放置自転車に警告の荷札を吊るして放置の禁止を呼び掛けた。
 駅周辺の放置自転車は全国どこの市町村でも悩みの種であった。建設省が駅前の放置自転車を一掃する目的で自転車駐車施設整備事業を始めたのは昭和五十三年、県下で初めてこの事業の認定を受けたのは遠州鉄道のさぎの宮駅であった。同駅周辺には約三百五十台の自転車が放置され、なお宅地造成が進んでいたため、建設省の採択基準に合い建設されることになった。用地費は三分の一、工事費は二分の一、国の助成がついた。放置自転車が最も多かった浜松駅周辺で昭和五十六年七月に市の道路維持課が調べたところ、駅周辺の放置自転車は約六百五十台、これに加えバイクやオートバイ約二百七十台が歩道上に駐車していた。この時点では東海道線の高架下に既に約一千台分の無料駐輪場が出来ていたが、二階部分はガラ空きの状態で、自転車利用者のマナーの悪さが目立っていた。
 
【浜松市自転車等駐車場条例】
 この状況はその後も続いたが、市は昭和五十年代の後半から放置自転車の撤去を行うようになった。昭和六十二年七月、浜名郡可美村の高塚駅前には百台ぐらいの自転車やオートバイが放置され、住民の苦情が絶えなかった。このため、同村では同年七月六日に長期にわたって放置されていた自転車など二十二台を撤去、粗大ごみとして処分している。このようなやり方はほかでも行われたが、より強力な放置自転車防止のためには条例化が必要であった。浜松市が浜松市自転車等の放置の防止に関する条例と浜松市自転車等駐車場条例を制定、これが施行されたのは平成六年十月一日であった。これによると浜松駅に近いところは自転車等放置禁止区域として、直ちに撤去し、木戸町の保管所へ、その外側一帯を自転車等放置規制区域として、二日後に撤去し、同様の措置を取ることにした。これにより、禁止・規制区域での放置自転車は減少に転じた。