【『浜松の道・坂・橋』 『わが町文化誌』】
栗原市政が始まって大きく動き出したのがコミュニティづくりであった。昭和五十五年度から市の広報課にコミュニティ係が設置され、コミュニティづくりのための学習会が同五十六年度から同五十九年度、同六十年度からまちづくり講座が開かれ、心の触れ合うまちづくりのために何をすべきかを学んだ。心の通い合う豊かな地域づくりの一環として『浜松の道・坂・橋』が刊行されたのは昭和五十七年七月、栗原市長は冊子の巻頭に「道のなまえは町の文化」と題して、町の文化を記録することの大切さを訴えた。この後、各地区では町の地理や歴史を学び、地区にある名所や旧跡、橋や道路に愛称標識を立てる事業が始まった。これは後に各公民館単位でその地区の地理や歴史や文化を掘り起こす事業となり、各公民館ごとに『わが町文化誌』が発刊されるようになった。
【公民館】
コミュニティづくりに最大の力を発揮するのは公民館である。昭和四十年代初め、浜松市には中ノ町、都田、村櫛(庄内中央)など、市に合併する前に村でつくった公民館が幾つかあったが、昭和四十三年(一九六八)に東部公民館、同四十五年に西部公民館が開館した。この二つは古い施設を改造した公民館であったが、同四十九年には本格的な北部公民館が落成、以後、各中学校区ごとに建設が進んだ。これらの公民館では青年、婦人、子供などの講座のほか、公民館まつりなどが開催され、地域の文化・コミュニティづくりに大きな働きをした。昭和四十六年度の利用者は十七万二千人であったものが、十年後の同五十六年には九十六万人を超えるまでになった。
【浜松市文化コミュニティセンター】
浜松市の地域活動と文化機能の拡充を目的とした浜松市文化コミュニティセンターが早馬町に開館したのは昭和六十三年七月十九日であった。ここは公民館、市民ギャラリー、視聴覚センター、ホール、クッキングルーム、児童室、スタジオなど多くの機能を盛り込んだ複合施設で、新しい市民文化の創造を目指した。この施設の愛称はクリエート浜松と名付けられ、多くの市民が利用するところとなった。