大気汚染

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【光化学スモッグ】
 昭和四十年代半ばから自動車の排出ガス量や騒音、窒素酸化物などの規制強化が次々に実施され、国による公害対策の法的な面では前進が見られた。市内の工場では硫黄分の多いC重油からより硫黄分の低いA重油への転換が図られ、二酸化硫黄は昭和五十七年度には全観測地点で環境基準に適合した。ただ、光化学オキシダントの濃度は昭和五十年代にはほぼ全地点で環境基準を上回っており、昭和五十五年と同五十九年を除いて毎年のように光化学オキシダントの注意報等が出ていた。昭和五十七年五月十九日には七年ぶりで光化学スモッグが発生、スポーツテスト中の天竜中学校の生徒二百九十人が「涙が出る」「目の周りがかゆい」「のどがいがらっぽい」という軽い被害を訴えた。また、北部中学校でも十人がこのような被害にあった。
 また、自動車排出ガスによる浮遊粒子状物質もほとんどの地点で環境基準を上回っており、酸性雨も昭和五十年代には数回降った。