水質汚濁

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【佐鳴湖をきれいにする会】
 一方、河川・湖沼とも水質汚濁が目立っていた。これに対し浜松市は昭和五十七年三月に川や湖をきれいにする運動推進本部を設置、川や湖をきれいにする運動を始めた。これを受けて佐鳴湖沿岸の富塚と入野地区の自治会、漁協、婦人学級など四十一団体が、同年五月二十六日に佐鳴湖をきれいにする会を設立、官民一体で佐鳴湖の浄化に乗り出した。市やきれいにする会では次の三つを市民に呼び掛けた。①食べ残しや食用廃油は流さない、②粉せっけんや無リン洗剤を正しく量って使う、③し尿浄化槽は正しく管理する。
 このような市民運動や『広報はままつ』でのたびたびの呼び掛けにもかかわらず、一部の市民の意識は低く、河川の浄化は進展しなかった。
 昭和五十八年度の河川・湖沼のBOD(生物化学的酸素要求量)とCOD(化学的酸素要求量)から見た汚れのひどい河川・湖沼の一位は狢川、二位は佐鳴湖、三位は芳川、四位は新川、五位は段子川だった。汚染度七位の馬込川では、宅地開発が行われていた市内の上流部で汚染がひどく、今まで汚れが目立っていた下流部は工場排水の規制や下水道の整備で比較的きれいになったことが分かった。水質汚濁の最も大きな原因は生活排水であることがはっきりしてきた。佐鳴湖はこの年、全国第二位の汚染された湖となり(図3―5参照)、以後、四位となったり、後にはワースト1になることさえあった。浜松市立高校生物クラブは佐鳴湖の水質調査を長年続けてきたが、その研究成果が『広報はままつ』(昭和五十九年七月五日号)に分かりやすく掲載された。それによると佐鳴湖の汚れは流域の宅地造成の進展とともに増してきたという。また、生物部員が寝袋を用意して佐鳴湖への流入河川である段子川でCODの日時変化を調査したところ、次のようなことが分かったとある。それは午後九時から十時頃にかけてCODの数値が急に高くなったというのである。これは夕食の後、知らず知らずに流している食器の洗い水や明日の朝食のために支度する米のとぎ水が段子川に流れてくる時間と一致していた。佐鳴湖以上に汚れのひどかった狢川もやはり近くにさぎの宮団地などの住宅が数多く建てられた地域を流れていた。
 
【無リン洗剤】
 浜松市は無リン洗剤の利用を佐鳴湖流域の全住民に呼び掛けたり、浜松市立高校の生物クラブは水生植物(ホテイアオイなど)を使って湖水を浄化しようと実験を繰り返した。また、浜松市は昭和六十年度から五カ年計画でこの地区に下水道が本格的に整備されるまでの間、隣の処理区に暫定的に家庭雑廃水を流す取り組みを行った。実施二年で佐鳴湖に流入する河川の水質はややよくなったことが分かった。一方、静岡県は佐鳴湖の湖底に堆積しているヘドロの除去に取り組むことになり、平成元年三月から試験工事に着手するなど、様々な取り組みが続いた。

図3-5 全国第二位の汚染された湖となった佐鳴湖