下水道事業

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【中部処理区】
 浜松市の下水道のうち、昭和三十四年に市の事業として始まったのは、東は馬込川から西は佐鳴湖までの旧市街地と南(白羽町付近まで)北(萩丘付近まで)に延びる新市街地を含めた区域で、面積は二千四百ヘクタールであった。この区域は中部処理区と呼ばれ、栗原市政下の昭和五十六年十二月までに計画面積の五十二%の整備が終わり、約十一万人の市民が下水道を使えるようになった。また、住宅団地が開発された所と舘山寺温泉の旅館街と町並みが続くところなどは個別に下水道(各処理区)を整備してきた。富塚町の弥生団地や五島地区の遠州浜団地では団地が造られた時に下水道がつくられ、昭和四十二年にこれらの下水道は浜松市に移管された。瞳ケ丘団地や湖東団地でも下水道は完備し、瞳ケ丘は昭和五十三年に市に移管、湖東は昭和五十七年に、舘山寺浄化センターは昭和六十二年に運転を開始した。これらは佐鳴湖や太平洋、浜名湖などの水質汚染の防止に一役買った。この後、小規模なものは統合されるようになっていった。