一方、馬込川以東から天竜川までと中部処理区の周辺地域は静岡県が進める西遠流域下水道計画事業として行われることとなり、浜松市、浜北市、天竜市、雄踏町、舞阪町、可美村の六市町村を対象に昭和四十八年から事業が始まった。浜松市の計画面積は一万五百七十七ヘクタールにも及び、市が行う中部処理区の約四・四倍という広大な地区であった。ここは西遠処理区と呼ばれ、昭和五十五年から江東地区の一部と中田島団地で(特定環境保全公共下水道事業としての西遠浄化センター周辺の五島と河輪地区は昭和五十二年から)開始された(図3―6)。県の事業とはいっても県は西遠流域下水道の馬込や浜名・佐鳴・雄踏の各幹線や西遠浄化センター(終末処理場)の建設を担当するだけで、市内各所に網の目のように張りめぐらす枝線は市が担当するという仕組みになっていた。この下水道の骨格ともなる四つの幹線は直径六十センチから三・七メートルの管を総延長約四十六キロにわたって埋設するという大工事で、昭和五十九年の一部使用開始を目指していたが、一部の供用開始は二年遅れの昭和六十一年十月一日となった。この段階では浜松市南部百八十一ヘクタール(一万八千八百二十人)が処理対象となった。その後も工事は進み、平成二年三月末で浜松市の下水道の普及率は市民全体の三十八・二%となったが、全国平均の四十二%に比べるとかなり遅れが目立っていた。
図3-6 下水道整備計画図