【東部衛生工場】
古くなった東部衛生工場は新しい工場に建て替えられることになり、昭和五十八年着工、昭和六十一年三月二十八日から稼働を始めた。この工場は周辺の住民感情への配慮から工場周囲を日本庭園にしたり、工場と管理棟を寄棟造りにするなど、し尿処理工場のイメージを一新するものとなった。さらに、最終処理水は敷地内の庭園内をせせらぎとして流し、ここには鮎やあまごなどを放流するといった趣向も取り入れ、無公害を強調した。清掃工場やし尿処理工場は地元住民にとっては〝迷惑施設〟であり、反対運動も少なからずあった。市は東部衛生工場建設に当たって、ソフトボール場、ジョギングコース付き芝生広場、テニスコートなどを含むゆたか緑地を整備するなどして住民への配慮を示し、昭和六十二年三月二十七日に完成式を行った。