[緑の基本構想、緑化推進センターの開設と緑化事業]

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【緑の基本構想 浜松市緑化センター】
 浜松市が緑の基本構想を策定したのは昭和五十一年三月のことであった。この基本構想は同年に計画策定された第二次浜松市総合計画基本計画に織り込まれた。この基本構想によると、昭和六十五年までに都市計画公園の面積を千二百五十一ヘクタール、人口一人当たり二十六平方メートルに広げるとしていた。しかし、その後住宅の建設や地域の開発が進み、状況が変化したのを受けて昭和五十四年度から同構想の見直しを行った。この見直しでは、地震等の大きな災害が発生した場合の避難地の役割を果たす公園緑地を中心に、市街化区域内での緑地確保を重点に置いた。緑の基本構想の中で設置が叫ばれていた浜松市緑化センター(後の浜松市緑化推進センター)が大塚町の安間川の河川敷にオープンしたのは昭和五十一年四月一日、二年後の同五十三年三月に全施設が完成し、浜松市の緑化の拠点として様々な活動を始めた。ここには広大な苗圃があり、市内の公共施設や自治会、子供会、学校などへ苗を提供したり、家庭・学校・工場緑化用・観賞用の教材用樹木やモデル庭園も展示された。また、様々な催しや各種の講座も開設された。
 
【浜松城公園】
 浜松城公園は昭和五十二年に天皇在位五十年記念公園に指定され、市はここを緑のまちづくりのシンボルとして整備することにした。同五十七年十一月にここにあった浜松市動物園がフラワーパークの北側に移転したのを受けて総面積約十二・四ヘクタールに上る整備計画がつくられた。昭和五十八年度は日本庭園の整備から始め、順次野外ステージ、カスケード(水の階段)、西入り口広場、作左の森、子どもの広場などが造られ、昭和六十二年三月にせせらぎの池が完成し、浜松城公園の整備が完了した。
 
【ブロック塀撤去】
 昭和五十三年六月に起こった宮城県沖地震により多くのブロック・石塀が倒壊して被害が出たが、浜松市はこれを教訓にブロック塀を撤去するブロック塀等除去事業資金助成事業を進め、ブロック塀の撤去後生け垣に転換する場合に生け垣の苗木を無料で配布する生垣用苗木交付制度を同五十七年にスタートさせた。これは昭和六十度には適用の範囲が順次拡大し、新築の場合や事業所などにも適用するなどして緑化推進に取り組んだ。
 
【緑化事業 緑化協定】
 昭和六十一年四月からは新たな市民運動として緑を守り育てる運動が始まり、浜松市の緑化事業は多くの市民の協力の下で大きく前進した。昭和六十一年四月現在、街路樹は九十二路線にマテバシイ、ナンキンハゼ、ケヤキなどが七千四百二十七本となり、また、グリーンベルトヘの植栽、花壇ポットなどの街路緑化、学校や工場などの緑化、団地での緑化協定締結、二十カ所の保存樹木、三十六カ所の保存樹林、地域の森づくりなど様々な事業や活動が行われた。