【松くい虫】
松くい虫の被害が新聞に出てくるようになったのは昭和四十年、浜松市の笠井新田町や浜北市の南部地区の被害の様子が出ている。同四十一年一月には姫街道の松並木での被害が報告されている。同四十六年以降になると被害を受ける地区が増え始め、昭和四十九年からは中田島の海岸林、三方原の防風林、舘山寺の大草山などでヘリコプターで薬剤を空中散布する方法も取られた。人家が多いところは地上散布や被害木駆除なども行われた。このような防除作戦にもかかわらず、松くい虫の被害は年々大きくなった。浜松市は同五十八年から薬剤の地上散布と樹幹注入の両面作戦を実施することにした。これが行われたのは同年の二月から三月にかけて、姫街道沿い、四ツ池公園、浜松城公園などの松約三百二十本を対象に実施した。注入六カ月後の調査ではこうした処置を受けた松は被害を受けていないことが分かり、市は今後、文化財に指定されている名松や公園の松を対象にこの防除方法を続けていくことにした。
三方原の防風林で行われていた松くい虫の防除剤の空中散布を中止して欲しいとの申し入れが起きたのは昭和五十九年六月のことであった。薬剤の飛散範囲内に民家や小学校、幼稚園があり、このままでは住民に害を及ぼすとのことであった。散布当日防風林に近い初生小学校で観測したところ防風林内と同じレベルの薬剤を検出、二日後にも土中に高濃度の薬剤(スミチオン)が残留していたという。ここでの空中散布は昭和六十一年から中止され地上散布となったが、これにも反対が強く、同六十三年から木に直接注入する方法(樹幹注入方式)に切り換えた。