【佐鳴湖西岸土地区画整理組合】
昭和五十四年に佐鳴湖東岸の土地区画整理事業が終わり、佐鳴台の街が大きく発展してきた頃、佐鳴湖西岸の台地の多くは農地となっており、侵食谷の斜面は森林で覆われていた。ここは浜松駅の西方約五キロにあり、中心街に近かった。このため、ここを佐鳴台以上の住宅地とする計画が持ち上がった。一般に、既成市街地の再開発のために行われる土地区画整理事業は市や県が施行し、前述の佐鳴湖東岸やこの佐鳴湖西岸のように計画的に新市街地の整備を図るものの多くは組合方式が取られるのである。ここの開発面積は佐鳴台よりやや広い百五十六・一ヘクタール、中央を南北に通る幹線道路を中心に東側は低層住宅地、西側は中・低層住宅地にし、西端には集合住宅を配置することにした。また、緑で囲まれた街とし、地区内にも植栽を多くすることにした。街づくりは昭和五十年代の半ばから始まり、六十年に入って施行区域が決まり、同六十一年に佐鳴湖西岸土地区画整理組合が設立され、平成の時代に入って事業が進み、魅力ある住宅地が誕生していった。