航空自衛隊のナイキ(地対空誘導弾)も配備されてから二十年余も経過すると、能力不足等の理由から、後継ミサイルとしてペトリオット(パトリオットとも言う)が導入されることになった。ペトリオットもナイキと同じく、米国で開発されたが、ともに日本でライセンス生産された。ペトリオットはナイキと比べ、いろいろな面で優れていた。重量はナイキの五分の一(約一トン)と軽く、速度・射程ともナイキの二倍であった。さらに重要なのは、ナイキは一度に一目標しか迎撃できなかったのに対し、ペトリオットは一度に四目標の迎撃が可能であった。また、トラック・トレーラーに発射装置・レーダー装置・ミサイル等全ての装備が常時搭載されているので、機動性も優れていた。こうした一式の装備にかかる費用は約二百億円であった(『静岡新聞』平成元年四月十八日付、『航空自衛隊50年史』)。
昭和六十三年(一九八八)九月五日教導高射隊は、航空自衛隊の先陣を切って、ペトリオット受け入れ準備を進め、事前教育を開始(『はまな』第294号)、この教材の中には教材整備隊(南基地)製作のモップアップ(実物大の模型)が導入され、教育効果の向上に寄与した(『はまな』第299号)。平成元年三月二十四日、日本で初めてペトリオットが浜松基地に搬入され(『静岡新聞』平成元年三月二十五日付)、同月三十一日同隊はペトリオット換装に伴い航空総隊直轄の部隊に改編、同七月には一個高射隊相当が増強された(『航空自衛隊50年史』、『精強―半世紀の歩み―』)。また、第二術科学校でも同年四月二十八日ペトリオット教育を行う教育施設が完成し、同年十一月から開始予定の準備も整えられていた(『遠州灘』第3号)。
図3-9 ペトリオット