[駐在所と派出所]

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【駐在所 派出所】
 昭和四十九年(一九七四)五月警察庁から各県警に、駐在所の整備についての通達が出された。一つは駐在所の勤務員の業務負担が派出所勤務員の業務負担に比較して著しく高い駐在所は、地域の実情に応じて派出所へ転換し、または複数の勤務員を配置する複数勤務駐在所制を採用する。二つは施設の近代化を図る。三つは装備、通信機材等の整備であった。静岡県では通達に基づき派出所・駐在所の業務負担を見直し、統廃合による合理化を推進した(『静岡県警察史』自昭和五十年至平成十二年)。
 表3―1は浜松中央・同東警察署の昭和五十年・同六十三年・平成十二年の派出所(交番)・駐在所数の変遷である。浜松中央・同東警察署とも警察庁の方針に基づき、駐在所を少し減らし、派出所を増やしていることが分かる。この時期に新築された三カ所を見ていこう。昭和五十三年三月一日から業務を開始した駅南警察官派出所(北寺島町)は、以前は寺島町警察官派出所と言っていたが、同四十九年二月放火事件により焼失、それ以降しばらくの間同町公民館に間借りしていた。建物は鉄筋二階建て八十平方メートルで、総工費約一千万円。砂山・寺島・北寺島・龍禅寺四町の駅南地区四千二百戸余り、約一万四千人を受け持つことから名称も変更となった。同派出所管内は、昭和五十二年の犯罪件数は約百九十七件で同署全派出所中四位、交通事故百七十三件で五位と、犯罪・交通事故とも上位にランクされ、重要派出所の一つであった。
 昭和五十九年三月三十日落成式を行った浜松城公園前派出所は天守閣風なユニークな交番として話題を集めた。これは交番の建て替えを進める県警の「人が寄ってくれなければコミュニケーションも得られないし、情報もない」との考えのもと親しみやすく、街並みにもマッチした個性的な施設造りの一環であった。鉄筋二階建て七十九平方メートル、総工費二千三百万円、勤務者は七人であった(『静岡新聞』昭和五十九年一月二十七日、三月三十一日、同六十二年八月十一日付)。平成二年四月五日業務を開始した富塚町の富塚町警察官派出所は、同町の急速な発展に合わせて駐在所から派出所に改称した。管轄は従来と同じで、これまでの警察官一人体制から婦人警察官一人を含む四人体制となった。新しい建物は鉄筋二階建て約八十平方メートルであった(『静岡新聞』平成二年四月六日付)。
 
表3-1 派出所(交番)・駐在所数の変遷
昭和50年
昭和63年
平成12年
派出所
駐在所
署所在地
派出所
駐在所
署所在地
交番
駐在所
署所在地
浜松中央署
16
17
1
18
13
1
21
7
-
浜松東署
8
9
1
9
8
1
6
3
-
浜北署
 
4
6
-
出典:『静岡県警察史』自昭和五十年至平成十二年より作成
注:警察署には外勤課(地域課)に所在地付近の区域を管轄する交番としての機能を持たせていたところもあった。これを署所在地と呼び、交番の一つとみなされていた。
注:浜北署は平成2年4月に設置された。
注:平成6年7月1日、派出所を交番に改称した。