[暴走族と少年犯罪の増加]

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【浜松市交通事故防止対策会議 暴走族】
 昭和四十九年(一九七四)暮、新聞の総合面に社会の話題として浜松地方のサーキット族(暴走族)が取り上げられた。深夜オートバイを暴走させ、騒音公害をまき散らすだけでなく、少女を連れ出したり、シンナーを常用するなど非行も問題とされた。浜松市交通事故防止対策会議と中央署は、県西部に約千人位いるとされた暴走族への対応策を検討した(『静岡新聞』昭和四十九年十二月三日付)。翌五十年七月十八日浜松市に本拠地を置き、県下最大の暴走族グループ「中部連合」が中央署に解散誓約書を提出し、以後暴走族グループが雪崩現象的に解散届を出した(『静岡新聞』昭和五十年八月二十七日付)。しかし、その後も暴走族の活動はやむことはなく、週末になると市の中心部や郊外へもやってきて、騒音をまき散らし、対向車の進路をふさぎ、信号を無視するなど住民を悩ませていた。そして、同五十六年五月には浜松駅前の派出所を襲撃するという事件も起こした。警察はたびたび暴走族を検挙、逮捕、補導したが、同五十八年八月に検挙した少年らの大半は十七~八歳で、高校中退組が目立って多かった(『静岡新聞』昭和五十七年十二月十七日、五十八年七月五日、八月三十日、五十九年四月十七日付)。そのため、同六十年三月浜松市議会は市民総ぐるみによる暴走族根絶を決議した(『新編史料編六』 二自衛隊 史料20)。このように、各方面からの手立てをもってしても根絶には至らなかった。
 
【少年犯罪 少年非行】
 暴走族の問題が社会で取り上げられた頃、少年犯罪も注目されるようになった。中央署管内でも昭和五十年の少年犯罪について前年の四十五%増、翌年は特徴として「少年犯罪が増加している」ことを指摘している(『静岡新聞』昭和五十一年五月四日、同五十二年二月四日付)。中央署管内の刑法犯少年は五十年(四百十二人)より増加傾向を示し、五十四年(五百六十一人)は四十七年(三百二十人)の一・七倍強となった(『あすへのいましめ』昭和五十四年中の犯罪のあらまし)。ここで昭和五十三年の中央署管内の少年非行の状況を見てみよう。この年の少年非行は五百八十件、非行の特色は次のようである。①急激な低年齢化(小学生の車上狙い、中学生の集団窃盗、女子中学生の集団万引等)、②中高校生女子の万引増加(不自由のない家庭の子女)、③非行の悪質化(独立勉強部屋を溜まり場にオートバイ盗やひったくり、集団傷害暴行、恐喝など)、④性モラルの低下(女子高生の売春)、⑤シンナー類乱用少年の増加(液体シンナーから市販のゴムのりに移行)。なお、少年犯罪の増加や低年齢化については昭和五十一年に浜松中央署が親の無関心が大きな原因とし各家庭に注意を促していた(『浜松情報』第七十九号、『新編史料編六』 二自衛隊 史料18)。
 少年非行は昭和四十年代後半からの経済的豊かさの中で、連帯意識の希薄化、核家族化、価値観の多様化、少年を取り巻く社会環境の悪化等を社会的背景として増加したと言える(『静岡県警察史』)。