昭和五十年(一九七五)から平成二年(一九九〇)頃市内で起こった主な事件と事故を見ていこう。昭和五十一年六月二十四日丸塚町で主婦が絞殺され現金が強奪された。翌五十二年三月二十四日には市野町でも主婦が殺害された。両事件とも現場が距離的に近いこともあり、周辺住民を不安に陥れた。事件は未解決であった。同五十三年一月二日には浜松オートレース場で観衆が放火・投石をするなど大規模な騒動に発展した。同五十七年十一月十四日航空自衛隊浜松北基地の航空祭でブルーインパルス機が墜落炎上する事故が発生した(詳しくは第一項参照)。
平成元年に浜松医科大学に関わるショッキングな事件が発生した。同元年四月十日同大学医学部附属病院の医師が患者に腎臓移植手術の作り話を持ち掛け、手術費用等の名目で現金を騙し取り、証拠隠滅を図るために筋弛緩(しかん)剤を注射して殺害した。翌二年四月三十日、半田町のマンションで、浜松医大を卒業したばかりの女性が殺害された。犯人はそのマンションを管理する会社の役員で、合鍵で侵入、騒がれたため絞殺した事件であった。この事件は被害者が国家試験を受験し医師になる目前であったため、マスコミ等に大きく報道された。この事件を契機に下宿街の防犯対策がクローズアップされ、静岡県警も各署に対応を求める通達を出すとともに、関係者による防犯連絡協議会設置等、県下統一の対策が打ち出された(静岡県警察本部『警察風土記』、『静岡新聞』平成二年五月十四日付)。同年七月十八日浜松市立中郡小学校の焼却炉で絞殺された女性の遺体が発見された。遺留品・家出人捜査等から被害者は、磐田郡豊田町の女店員(十七歳、元高校生)であった。犯人は被害者と以前交際のあった市内の十六歳の高校生で、口論がエスカレートした上での犯行であった。短絡的で乱暴な犯行は、犯人が快活・スポーツ好きな現役の高校生だったことで、社会に一層の衝撃を与えた。この事件についてある識者は、感情をコントロールできないと言われる現代若者の恐ろしい一面が表れていると語った(『静岡新聞』平成二年七月二十四日付、静岡県警察本部『警察風土記』)。